20周年イベントの残したもの

時節柄、取り残された中国との交流囲碁はいつの日か

                                                       高野圭介

七難を隠して
 韓国から電話でのお礼の言葉も戴きました。
その他、いろんな形で嬉しい反響が次々と届いていますに接しますと、
拙い大会でしたが、

懸命に取り組んだことで、七難を隠して戴いたように、嬉しく感じています。

 これもひとえに、スタッフの皆さまの献身的な努力の賜以外の何ものでもありません。
改めまして、心より厚くお礼申し上げます。


 

碁吉会二十周年志   
 折しも、参加を断念した中国から漢詩が届きました。

感杯
は立心偏ですが、文字が出ません・・悪しからず)
(高野先生之碁吉会二十周年志賀)

”志賀”とは”祝賀の意を表す”。
“神州”とは、中国の別名です。
“介翁”とは、“高野圭介様”です。
“还愿”とは、“約束を果たす”です。
“東瀛”とは、日本の別名です。

注:余昌民より
http://blog.sina.com.cn/yuchangmin



感杯
八旬人生路沉沉,

黑白方圓醉里行。

左手妙裁人間衣,

右手巧布盤上星。

碁吉転瞬二十載,

同慶惜成万里云。

介翁神州已常客,

還愿来年会東瀛。



七言律詩诗作詩・余昌民


(人生八十年というもの、永く深く歩んできた)

(酔ったように囲碁の中に歩んできた。)

(片方は世上には妙なる服装を縫い上げながら、)

(片方は盤上輝く星を巧みに配置している。)

(碁吉会は、はや創立20周年迎えた。)

(惜しむらくは、共に祝う願いは、万里の遠くまで雲に流された。)

(高野圭介翁はいつもながら中国常連の賓客だ。)

(私は来年、あなたを日本に訪ねて約束を果たそう。)


拙日訳・高野圭介

余昌民の略歴 
余昌民略歴を余様の言葉で紹介しておきます。



「私は高校生の時に碁を学び始めたんです。
清華大学にいる何年中、国家チームの選手(陳祖徳など)とつきあっていて、
腕もどんどん上達してきました。文化大革命中、
私は首都圏の大学生アマ選手のナンバーワンだと言われていました。

(北京大学の陳大均さん、航空学院の唐騰さん、
師範大学の蒋錫久さんとも碁を打ったことがあります。)

私は一番先にアマ5段を取る人の一で、二十何年前のことでした。
それに、シンセン市の団体チャンピオンになりました。

1986年シンセン市で行った
中日試合で(藤沢秀行、小林覚(出戦))、私は秘書長を担当しました。
近年来、囲碁の出来事について、いろいろな文章を書きました。

それだけです。神戸も暑いでしょうか?」

賓客をお迎えする心 
さて、碁吉会は2011年10月20日過ぎに催される”時代祭・鞍馬の火祭”に、



碁吉会秋の大会を企画しますので、まだまだ中国サイドの予測は立ちませんが、
もし、中国の方々が来られるものなら、その頃に、お待ちすることになろう、と思っています。

 今回のようなことは望むべくもありませんが、いよいよ決まりましたら、
賓客をお迎えする心の準備だけは持たねばならんと、
気を引き締めています。その節はよろしくお願いします。