井原詰碁こと始め
編集者 高野圭介記 |
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宇太郎先生 | それは1980年の夏のことだった。 橋本宇太郎先生ご一家を赤穂の貴和荘に迎えた。 橋本一家は鈴子奥様と二人のご子息。皆さま卓球が好きだった。 宍粟市山崎から守拙会のメンバーが集結した。 その時、宇太郎先生と井原さんと私、三人が膝を交えて先生から伺った話。 「私はいつも皆さまの碁を見ていて、詰め碁を作っているんですよ。 プロの碁は整いすぎて役に立ちません。詰め碁を作るときは、 こうして一握りの白黒の石をバラッと盤上に散らかして、いじっているとすぐ出来るんです。 今皆さまとお話をしながらも、詰碁を作っているんです。」 |
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一握りの石 | やがて、盤面に散り撒かれた一握りの石が、井原さんの指先から 詰碁の命が吹き込まれてたちまち、井原さんの感性が マジックのように石を躍動させ、詰碁が生まれ始めたのではなかろうか。 ある年「囲碁の友」と言う囲碁雑誌に詰碁二題を投稿して、 その一題が鮮やかな手筋でということで入選したことがあった。 |
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グレードアップ | 「量は質を規定する」という言葉通り「はじめに量ありき」だ。 数を作っている内に質は自ず付いてくる。 自ずとグレードアップされて来るだろう。 |