よき出逢い
「人の世の 幸不幸は
人と人とが 逢うことからはじまる
よき出逢いを」
相田みつを
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2021年5月5日 高野圭介
私が中学2年・14歳の時、終戦となり、
テニス・百人一首・囲碁の三つを同時に始めた。
75年経って90歳を迎へて、今も続いている。
中でも囲碁に就いて言えば、
棋力は一気には身に付かないが、
じりじり手が上がってきていた。
2017年AIの出現から、いち早くAI囲碁に取り組み、
今では7段の人が二子の手合いとなり、
9段で打っている。
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盟友・石飛肇さんはトライアスロンの
全日本(ロングディスタンス)エイジチャンピオンだ。
彼が本格的なトライアスロンに取り組んだのは55歳の時、
会社勤めを辞して、本気でトライアスロンに挑戦しようとした。
そのとき、同じ境遇にいた友人と、
訓練の計画を立てて、共に一年間取り組んだ。
スイムでは海で方向を見定めるため、顔を前に上げて息継ぎ。
バイクでは下り坂は安全を期してスピードダウン。
最後のランはスタミナ補給しながら、焦らずマイペース。
その他数々の試行錯誤が続いた。
成果は顕著で、
二人とも揃って並のタイムから一気に頂点に躍り出た。
おかげで、以降、栄光の足跡が残されてきた。
つまり、最初の適切な取り組みが総てを支えてくれた。
「最初のよき人との出逢いが無かったら、
今はなかったように思う」。
そう述懐されている。
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ふと、自分にも貴重な出逢いがあったのが去来した。
学生時代に囲碁部を創立したり、
社会に出てからも相応の碁との取り組みはあった。
1971年、期せずして、隣町・新宮町の
故多田昭円和尚という良き碁敵を得た。
和尚とは打ち込み碁でスタートした。
和尚は稀な高手で、互先から三子まで打ち込まれ、
負けまいと私が必死に取り組んだのが「ハメ手」。
ハメ手破りから、手順手筋。本形と凝り形。
本手と嘘手など、研究を重ねた。
いつの間にか二人は囲碁玄妙の探求者となっていた。
半年後、翌年1972年5月、
私は神戸新聞兵庫県西播磨名人になった。
朝日アマ囲碁・読売囲碁・赤旗囲碁大会なども次々制覇し、
兵庫県西部の一躍スターダムにのし上がった。
以降はドップリ碁に浸かっていった。
共に切磋琢磨し合った多田昭円和尚は
後日、見事、兵庫県アマ名人となった。
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