108の煩悩

                                                      高野圭介


物事には「一つの区切り」ということがある。



事始めがあって、いったん終わる。
瑞雲籠もり、気分新たに新年を迎えるのだが、
新年のエポックとして、除夜の鐘 108つの鐘を鳴らす。





去年今年


連綿と連続する「時」を微分してこれを捉える時、切れている!
いや、時は切れたりしていない、繋がっている!
諸説紛々だ。

去年今年貫く棒の如きもの      虚子

「去年今年とは
昨日が去年できょうは今年といいう一年の変わり目をとらえ、
ぐんと大きく表現した新年の季語。

虚子の句はこの季語の力を最大限に利用して、新春だけに限らず、
去年をも今年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いをうたう。

『貫く棒の如きもの』の強さは大したもので、
快作にして怪作というべきか」と絶賛している。


cf::『折々のうた』    大岡信記

108 という数字
ともあれ
108という数字は「2の2乗*3の3乗」というとても複雑な数字だ。
古来、108は人間の煩悩の数といわれている。

煩悩とは「怒り、そねみ、ねたみ、腹立つ心、欲張りの心、愚かな思い・・・で、
人間はそれから抜け出ることは極めて難しい。」

その煩悩にさいなまされ、自我に執着する人間が、

それから逃れようといくら頑張ってみても、さらに新しい煩悩が生じ、
堂々巡りを繰り返すばかり・・・。


   
cf:「ごえんさんの人生法話」ー仏の智慧に学ぶー  佐々木英彰著より




怒りは
敵と思え


初春を迎え、心を新たにする時、
折に触れ、心穏やかならず、怒りを覚えたり、愚かな思いをして、
後で悔いたりする自分が嫌になっていた・・・

それから逃れられないのが人間だ・・・とはいえ、
この、煩悩に悩む自分が情けなくなった。


家康遺訓

人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず、
中略
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ、
勝事ばかり知りて、負くる事をしらざれば、害其身にいたる・・・・」

そうだそうだ!反省しなくっちゃ!




碁を打っていて
救われる



反省も大事だ。ただ、反省が深ければ深いほど、
ますます滅入っていくことがある。実はこれがもっと怖ろしい。

春名愛子という素晴らしい女性が居た。

ある時、最愛のご子息を失い、程経ずして最愛の夫をも亡くした。
泣いて泣いて、悲しみの日が続いた。

いろんな宗教の先達が真摯に救いの手を差し伸べた。
その糸口は、やれ業がどうの、輪廻がどうの、
煩悩がどうの、反省と懺悔を宗教は強いた。

やがて、煩悩を断ち切って、仙人の境地になれるのかも知れない。

しかし、反省も良いが、本人はいよいよ滅入り、
日に日に暗くなるいっぽうだった。

良妻賢母の才媛は、やがて吹っ切れて、
口笛吹いて春の野を歩むような、前向きに
明るい気持ちの方がもっと大切なことに気が付いた。

そして私に述懐された。

「宗教とは間隔を置いた! 碁を打っている時が一番楽しい
碁を覚えていて救われた!」と。


笑・楽・面白い

三拍子


私は今日、碁を通じて、
笑い・楽しい・面白い・の三拍子を軸として、
煩悩を甘受する愛子さんの心境に近づきつつある。