0.1秒の世界

                              高野圭介

ボレーが遅れる 
 昨日、早朝テニスで、ボレーが少しずつタイミングが遅れて打てない。
即、ミスに繋がる。



何かが合わない。「あ、ボールが悪い」と、言った。

 元気なパター  
先日、ゴルフで下りでフックのパターをした。



届かないと、アマチュアラインだから、「よし、プロラインだぞ」と、言い聞かせながら打ったら、
「若いなぁ、元気やなぁ」と弥次られる結果。「初速が0.1秒速かったか!」と、嘆く始末。

動体視力 
今、高齢者の運転免許には動体視力の検査が付きものである。
運転だけではない。



テニスのタイミング、ドライバーの初速、これらも速いのは良い薬。

哀しいかな・・・私たち老人は日頃の動作もゆったりとしてきて、
なかなか世の中の動きに対応しにくくなってきた。

どうも0.1秒の世界が遠くなってきたようである。


1秒の速さと

ゆったり熟成

 

0.1秒の世界といえば、陸上競技とか、水泳の世界とピンとくるでしょう。
なかなか、ゆっくり、ゆったりが求められるのが高齢者社会にもあるある。
ありありサーマンダだ。

でも、ただ速いだけが取り柄かと言えば、

歳相応にゆったりと動くのがいい。
遅ければ遅いほど良いという訳でもないが、
これ以上ゆったり出来ないぐらいで、ちょうどである。



眼を辺りに巡らせば「ワインの熟成」とか、「熟成」というものの中に、
ゆったりの大いなる価値を見いだす。


 ゆったり

ジワーと 放松



太極拳の動きはピョコンとした動きは禁物で、ゆったりとした動きが求められる。
元々は「ファンソン=放 鬆 」と言うが、今では
「放松」と書く。

そもそも、
太極拳に求められる動作
1:立身中正。2:意識集中。3:リラックス。4:虚実分明。5:自然呼吸の5つである。
その根底に根付いているもの、
それが、0.1秒、1秒、10秒ゆったりと、いう「放松」である。

碁打ちだけの碁 
かって、104才の大井萬兵衛翁が言った言葉がある。
「碁は碁打ちだけのもんじゃて」
それは明治から今日まで、悠々自適の世界の話であった。

0.1秒の碁  
囲碁数百年の歴史に、一つの大きな変化がもたらされた。
それは持ち時間のが対局の要素に加わったことです。
一瞬でも速く判断するという要素です。



昔は仙人達が斧腐・爛柯・橘中のように、永遠無窮の時間の中に悠然と盤を囲んだものでした。
それが、今では、0.1秒の中でのスポーツと化しています。
現にアマの碁で、終盤、時間切れのために、時計の叩き合いが時折見られるところです。

 碁もスピード狂時代
プロの試練は凄いもので、
結城聡NHK選手権保持者は持ち時間10秒で打つ稽古をしている。
カチカチカチ・・・パチンと打つ。
その間に、手はもとより、形勢判断まで的確にやっている。


スピード狂時代となった囲碁の世界は、
もう私たち超高齢者には彼岸の世界での出来事と感じられ、
無縁の囲碁界が忽然として現前に示されたようにも感じるのです。