「六中観」について

                                         高野圭介

 囲碁の効用   
先日来、風邪で身体の不調苦しんだ。
中国は紹興はもう夏で半袖。日本に帰ったら寒波のさ中。
中国で仕込んできた風邪の素が生命の息吹を得たものか。

 こうして二週間、体調不良との戦いであった。
ここに来て、ようやくまともな本来の姿となってきた。
しかし、頭の中がもやもやで、スカッとした思考回路が戻っていない。

 インターネットで碁を二局打ってみた。
どうだろう、頭の中がパッとクリアーに整理整頓されてきたのが分かった。
囲碁で頭が整理整頓されたのである。囲碁の効用を始めて知った。



 「六然」
 ともあれ病を得て、雌伏二週間は良いことは起きなかった。
むしろ、つまらない恍けた妄想が去来していた。嗚呼、ダメだ。
今こそ、自分を見直すときかも、、、と、去来したのが「六然」と「六中観」。

「六然」については、身につかないまでも以前、遊有方先生に薫陶を得た。 


六然訓
        遊 有方

エッセイ・六然訓   高野圭介


「六中観」
 「六中観」は東洋学の泰斗、安岡正篤氏の「百朝集」と「後漢書」からの言葉だ。

死中有活
苦中有楽
忙中有閑
壺中有天
意中有人
腹中有書




 「六中観」・注釈

                               安岡正篤

死中有活
絶体絶命の中にも活路はあり、死ぬ気でやれば道はひらける 

苦中有楽
どんな苦しい中にも楽しみは見出せる

忙中有閑
すさまじい忙しさの中、一瞬の閑、これが一番ほっとする時間。

意中有人  
心の中に尊敬する師を持ち、誰かに推薦できる人があること

腹中有書
自分の哲学や座右の銘、愛読書を持っていること

壺中有天  
狭い壺(つぼ)の中に広々とした天(空)があるという意味で、
何か事あった時には「誰にも邪魔されない心休まる。
自分の別世界を持つことが必要だ」とのこと





「六中観」・詳説

                                       安岡正篤

『意中有人』
 いつも心の中に「人物をもっている」ことである。

私淑し得る人物を理想的人間像を、あるいは要路に推薦し得る人材等のように、
ありとあらゆる人物を用意していることである。

『腹中有書』
 断片的な知識ではなく、しっかりと腹の底に蔵めた哲学をもっていること。

 元々、「知識」というのは人の話を聞いたり、本を読んだりして得る
ごく初歩的なものだから薄っぺらなものである。

これに経験と学問が積まれてくると「見識」となる。
さらにこの見識に実行力が加わると「胆識」となる。この胆識が『腹中有書』である。

 『壺中の天』
 理屈や打算や功利一点張りになってくると、
どうしても人間はコセコセして、ぎこちなくなる。味がない。
人間も器量が大きくなればなるほど、そうゆうものが脱けて余裕が生まれてくる。

 その余裕を養うものが風流なのだ。
いかなる『壺中の天』をもっているか、それがこの人物の器量を決定する。





最後に、安岡正篤の自戒の言葉を。

「何が人の特性を最もよく表しているかというと、愚かものに対して執る態度が一番である」