会津八一の学規 高野圭介 |
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三木正さんから碁の本が届いた。二冊の「次の一手」である。 その「続・次の一手」の本文の結に記載されていた一文。 三木さんは「玄関に会津八一の学規を掲げ、日夜仰ぎ見て自戒する。」と。
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新潟から | もう30年も前のこと、西回り世界一周の旅立ち、 新潟からウラジオストックへ船旅で、シベリア鉄道に乗った。 新潟に着いて、たまたま時間があって、 新潟市の会津八一記念館を訪ねたことがある。 その時サイン帳に記したサインを従兄弟の本條 衛が見付けて 連絡があり、不思議な縁を思った。 |
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学生への学規 | 会津八一(1881~1956年)が歌人にして書家、秋艸道人と号した。 そして早稲田大学で教鞭をとった東洋美術の研究者である。 八一はは型破りの先生であった。 多くの学生たちが先生の下に集まってきた。 その学生たちに先生は「学規」の四ヶ条を書いて与えられたという。 簡潔だが一つ一つ大きな力で学生に伝わってくる。 学生のために、気を遣われていたことは言うまでもない。
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八一の学規 | これとて、会津先生は御自分のために書かれ、 八一先生ご自身がまさしく「学規」の実践をされていたという。 八一は正岡子規を訪ね、万葉調の歌を詠んだ良寛が 越後にいたことを教えたりしたとも聞く。 |
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高野の学規 | 学規の四ヶ条の中で、具体的には自分にとってどういうことか? 愛生は自分自身に背かないように生きる。 自分なりの健康と養生に勤め、隣人とも生を共有して生き抜く。 養性は「囲碁の何たるか?」を可能な限りあらゆるジャンルから 追求するのを宿命の課題として、全精力を傾ける。 真面目は総てに真剣に取り組み、人には誠意を以て対処する。 知己は最も難しく、人から見た自己。自分が知っている自己。 ああ、知己とは何という公案。 今日も昨日と変わらない自己なのに何も見えない。明日も又。 |