趙治勲棋士のツイッター

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で「治勲さんが言うことには」に出逢いました



                              高野圭介
 

強い人は負けるんですよ。
それは昔から決まっています。

厚い手を打たれたら、
ぬるい手を打たれたと喜べばいいのです。

碁の強さには、
手がみえる、手がヨメる明るい世界での強さと、
手がみえない、手がヨメない暗い世界での強さと、
二種類が混在しているのかもしれません。




治勲さんが
言うことには


‏@chikunnsan


 高野圭介の
ツイッター


@kono03544834


ツイッターで、趙治勲さんの言葉に接しました。

「治勲さんが言うことには」とニーチェの言葉のように、
宝石のような輝く言葉に唸りました。

 つい、私は呟いてしまいました。


私たちから見れば、アマチュアの方の碁は、
強いとか弱いといっても、大同小異です。

アマチュアどうしでは、五段と十級は、
月とスッポンぐらいの差でしょうが、
プロの碁を基準とすれば、五段の碁も
十級の碁も、本質的には変わりがありません。

 
治勲さんが
言うことには

@chikunnsan


 高野圭介の
ツイッター


 @kono03544834


 私たちアマの目からすれば、
解説者の予測も、プロ同士の実戦も
玄玄という別世界で打っている感じです。

棋理に忠実で、当然の手筋で、しかも頑固で、
しかし、どこかで差が付いていく。

ただ、トーナメントプロ数十人の碁は又別格で、
地と模様を超えるものがあります。

 
私の碁は、およそ型、
スタイルというものを持っていません。


その場その場で打ち方が変わるし、
毎局打ち方が変わります。

自分はこのスタイルで行くんだ、ということは
まったくありません。


治勲さんが
言うことには‏


@chikunnsan

 

高野圭介の
ツイッター


@kono03544834

 
いつも、碁に一貫性を持たせろ、と聞きます。

その通りなのですが、どこかで模様を
地に換える場面が通り過ぎていくのです。

それを融通無碍に自由自在で、いつも対処
できるというのは達人の境地に他なりません。

難、難、難・・ただ、感嘆あるのみ。

 
不変なものは何もありません。無です。
ゼロの状態です。

そこから自分を奮い立たせ、幻想への橋を渡ります。

こちら側は、ゼロ地帯、向こう岸は幻想。
橋の上で戦っている自分の姿こそが現実であり、
生きていることの証しもそこで生まれるでしょう


 治勲さんが
言うことには


@chikunnsan


高野圭介の
ツイッター


@kono03544834

 
 
無の境地。これがたいへんなこと。
私は常に+αか、-αで、
私にはこの無というニュートラルの
居場所がない。

先生は卓越した禅坊主の心境なのですね。
強い人にビビり、弱い人に笠に掛かる。

まあ、凡人は凡人らしいのが、
いちばん住み易い。