碁の中にいて、自分が透明になる


                                        高野圭介


 天吾と
ふかえり
(深田絵里子)

との会話


「数学というのは水の流れのようなものなんだ。
こむずかしい理論はいっぱいあるけれど、基本の理屈はとてもシンプルなものだ。
水が高いところから低いところに向かって最短距離で流れるのと同じで、
数学の流れも一つしかない。ジーと見ていると、その道筋は自ずから見えてくる。

(数学の面白さ、愉しさは僕にとって)・・・注:挿入・高野

 何と言っていいのかな、余りにも自然すぎるのだ。
それは僕にとっては美しい風景みたいなものなんだ。ただそこにあるものなんだ。
何かに置き換える必要すらない。だから数学の中にいると、
自分がどんどん透明になっていくような気がするようなことがある。
ときどきそれが怖くなる。」

「1Q84」村上春樹著P.94
 

ここで

数学を碁に置き

換えてみる。


「囲碁というのは水の流れのようなものなんだ。
こむずかしい理論はいっぱいあるけれど、基本の理屈はとてもシンプルなものだ。
水が高いところから低いところに向かって最短距離で流れるのと同じで、
囲碁の流れも一つしかない。ジーと見ていると、その道筋は自ずから見えてくる。

(囲碁の面白さ、愉しさは僕にとって)・・・注:挿入・高野

 何と言っていいのかな、余りにも自然すぎるのだ。
それは僕にとっては美しい風景みたいなものなんだ。ただそこにあるものなんだ。
何かに置き換える必要すらない。だから囲碁の中にいると、
自分がどんどん透明になっていくような気がするようなことがある。
ときどきそれが怖くなる。」


碁が語りかけてくる

そして、どんどん

透明になってくる


これより鮮やかな表現はないと思われるほど没入し、頭は碁でいっぱいになった。

碁は考えるもの、そう思い込んでいた私は
碁とは「碁が語りかけてくる世界であること」にいたく感動した。


そういえば、
私が碁を好きになると同時に、碁が私を好きになって入るのではないか。
そう思ったことがあった。



 今度、碁に実戦で親しむとき、碁が語りかけてきてくれることがあろうか?
 そして、自分がどんどん透明になるって、どうなるのだろうか?。


 おお、未知の世界。手探りで試みる楽しみが増えてきた。