囲碁をどう考えて打つか 高野圭介 |
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碁を打つに当たって、考えて打つといっても何をどう考えるか?その分析と、 自分に足りない部分を鍛えるノウハウを考えてみた。 特に設計図は形がなく、なかなか気がつかない部分である。 部品は自分でコツコツやる以外、やりようがなく、やっても際限がない。 筋と形。そして詰碁ぐらいでしかない。 反省材料に、棋譜を採るのを勧める。 |
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碁の部品 | 囲碁部品=棋理 1.序盤 1.1に空き隅2にシマリ 2.一間トビに悪手なし 3.ケイマのツキヌケ 4.アキサンの愚形 5.ポン抜き30目 2.中盤 1.ダメヅマリ 2.キル:ツナグ 3.封鎖:閉じ込める 4.2目の頭:3目の真ん中 5.追い落とし:打って返し 3.終盤 1.ヨセも力なり 2.二線の価値 3.先手ヨセ 4.逆ヨセ 5.味よいヨセ |
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閑話休題 囲碁と幾何学がよく似ているという説はありこちで聞いたことがある。 私もそう思っていたから、そこそこの確信を得たように定説らしい感を持ったものだ。 今、改めて・・幾何と囲碁について酷似しているが、 囲碁には二律背反の非ユークリッドの世界も同居していること。 幾何の定理・公理は棋理。これがロゴス。 幾何を解く前に、肝心なことは対象の観察である。これがエートス。 対象物の形状、軽重、大小、直線か曲線か、角度とか、雑多な認識が必要。 解を導く直感というか、発想がパトス。 以上 なお、囲碁理数系の人が強いと言うが、一定のグレードから上は文系の世界という認識です。 |
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囲碁設計図 | 囲碁設計図=碁にはストーリーがある=囲碁哲学 1.生きているか 2.攻めと攻めた後 3.手筋に乗って動く 4.手順で様変わりする 5.地合と模様のバランス |
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閑話休題 哲学はあらゆる科学の母でもある。 すべての科学のジャンルはかつて哲学において扱われていた。 あるテーマが実践による検証が可能になることで、科学へと前進するのである。 言語の議論が重んじられその思索についてしつこく検討を続けるのが哲学であり、 批判的思考が強く問題解決よりも問題発見を得意とする。 |
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組立工場 | 囲碁組立工場=実戦=棋譜 |
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閑話休題 不思議にも、碁の強弱には段々があって、いつの間にか 品格の位置づけとか序列が決まってきている。それは、強い者が勝つからである。 かって私は橋本昌二プロと話したことがある。 「碁のお勉強など何もしなくって到達出来るのが4段(今の)ですね。」 私の意見に昌二先生の見解が不思議にも一致した。 ロゴス・エートスの学習は自然に体験だけで特に学習など無い。 昔はそうだった。 一般に、トントンとウッテガエが最高のご馳走で、という人達だ。 要は、パトスの心意気だけで、勝つチャンススをものにしているのだ。 その人は、誰よりも全局に眼を走らせている。肉を切らせて骨を切る作戦に強い。 先手を取るのが大好きで、守りより攻め。形より力。 概して、政治家、経営者は勉強などしない。社会生活が支えた。その人らが強かった。 テレビで「力碁の勧め」という番組がある。「パトスで打て」と言っている。 |