補聴器の福音

補聴器は万能で無く、あくまで補聴の器具だった。

                                           高野圭介

耳で命を
補聴器は何と素晴らしいものか。着けてみて初めて分かることだ。

正月4日、2015年、一年間のの全日本の交通事故について、
全体で4117人で、15年ぶりに増加した。その内
65才以上の老人が2265人で、55%というが数字が発表された。



一般には「老人は加齢でボケているんだなぁ」と解釈しているだろう。
今の私は違う。死者の口からなのも聞けないが、無惨なことだが、
その半分の1000人は車の音が聞こえなかったために
事故に遭ったとしか思えない。

かるたが取れない
この正月、孫とかるたを取った。
孫の読み手で、いろはを探すのだが、
肝心の読み始めの子音がどれもこれも音声がボケて判聞き出来ない。



聞こえることと、判って聴くことは違う。
そのように教えられたが、その意味がハッキリ分かった。
会話で、全体の話の流れと、口の動き。この二つが判って
聴くことに大きく寄与する。その通りだった。

補聴器は万能で無く、あくまで補聴の器具だった。

聴く補助の器械  
音の捉え方は二種。

音の高低大小と、声の中身を聞き取る。これは別の働きで、
補聴器は音の高低大小は比較的対応出来る。但し、
・・・高い音は聞こえすぎは疲れてダメ・・・

しかし、意味をシッカリ聞き取るというのは限度が低い。
その補助は状況判断と、口の動きを見ることの二つだ。

補聴器は聴く補助の器械で、耳そのものでは無い。

 不具合は無いか  
耳の穴の筋肉は締め付ける能力は無さそう。
補聴器を常時ねじ込んでいると、その弊害も起きてくるようだ。
湿度が一番の敵だ。使用のときも、保管のときも同様に。



耳に、ピッタリした形状、サイズなど、言うべくして難。
今、ちょうどと言っても、いつかはグスグスになってくるのではないか。
それはその時のこと。

後は慣れだけ
補聴器の観察は一旦これで終わりとしよう。後は慣れだけ。

思うに、この文明の機器は人生を変えるだけの力を持っている。
今は、この福音を享受出来る歓びを大いなるしあわせと喜んでいる。