補聴器は頭の活性化



                             2015年12月5日改訂

                                高野圭介

 年なんだなぁ。
いつの間にか身体中がおかしくなっている。

身体の穴という穴が塞がったり詰まったり、スカスカになったり、
膨れあがったりしているような感じを覚えるようになった。

年なんだなぁ。
いよいよ生病老死という四苦から逃れられないのを知る。

般若心経


般若心経に無眼耳鼻舌身意の一節がある。

眼耳鼻舌身意無く、色声香味触法も無し。
結局、老死無く、亦老死の尽くるもなしと言う。

仏法では真実の世界ではすべて無と説くのである。
したがって、老いも死もない。
何もこだわらないから静かな世界へと至ることが出来る。

すべては無 
 煩悩のままに生きる自分にとって、
悟りの世界ではすべて無と言ったって、
やはり、ダメなものはダメなんで、見えなかったり、
聞こえなかったりしたら困るのは自分・・・などとは
業丸出しで愚かなのだろうか。


 老いの世界



 
 まあ良い。
事実どのような老いの世界に生きているか。

 眼は近視でも無く、遠視でも無い。でも、白内障は迫っている。

 鼻は昔から肥厚性鼻炎との付き合いが今もなお緊密だ。

 舌は口のこと。息子の歯科医に首ったけ。ダメなんだなぁ。

 身は皮膚のこと。立派な尋常性乾癬が棲み着いて久しい。

耳が難中の難。

左右とも30%  


 耳が難中の難。悪口は聞こえなくて、嬉しい話はよく聞こえた。

ところが昨今、いい話も聞こえなくなってきた。
調べると、左右とも30%ぐらいしか聞こえていない。
老いの身には聞かなくても良いことばかりと、タカを括っていたが、
意を決して補聴器にお世話になることとした。

補聴器第1日目  
補聴器第一日目の感触は一生忘れられないだろう。

今まで聞こえなかった音がカリカリピチピチどんどん入ってくる。
その音、まず自分の声は想像していたから、分からぬでも無かった。
トイレに入った。ジャーという水の流れ。食器洗いの陶器類の
ガチャガチャ触れ合う音、放屁の音の大きいことなどには驚いた。



違和感も無い  
食事の時嚼む音は慣れるまで無理のか、はずしている。

テレビの音は実に効果的。雑音も全然入らない。最高の歓びだ。
1時間、3時間と付けていて、何の違和感も無い。素晴らしい。

耳の活性化  


補聴器をはずしたとき、一つの変化に気が付いた。

はずしていても、補聴器効果がなお持続して残っている。
不思議な現象だ。つまり、耳の活性化が起きている。
思うに、耳だけでは無い。
耳の周辺の活性化もあるはずと気付いた。

 補聴器の保管
それもそうだが、補聴器の保管が慣れるまでチグハグな感じ。
すでに、とんちんかんがいろいろ起きている。

手順が身に付く繰り返しの作業:ルーティン・ワーク」(routine work)の
成果を待たねばなるまい。



補聴器第2日目


 補聴器は

頭の補完器






6日目

さあ、いろんな
音を楽しもう。




 
2日目 12月1日

回りの音がすべて少し小さくなった感じ。
音が大きすぎるかな・・・というのが落ち着いてきたというか。

確かに、頭の中は徐々に変化が起きている。
ど忘れ防止とか卑近な問題の解決でも良い。
頭全体の活性化に繋がるようなことがあったら、
補聴器は頭の補完器として世に問おう。 凄い実験だ。

今からは慣れるにつれて、感激は薄れていくだろう。
また、そうならなくちゃ困る。

6日目 12月5日

周りの音は何という多種多様。種々雑多。いっぱいの音だ。
擦る音が目新しいものの一つだ。
水の流れる音は音楽のようだ。

さあ、いろんな音を楽しもう。