テニス・耳眼

眼と耳は交流があり、補完し合っている・・・と、実感

                                           高野圭介

加齢専用振り遅れ
テニス・足ニスで、球は拾いまくるものと聞いていた。
それが
テニス・耳眼と実感したのは12月に入って昨今のことである。

プレー中、球が来るのは分かったが、
ラケットなんぞ怖くないと、球が優先して空中闊歩。
エイャオゥと出したラケットは遅れて的確に球を掴めていない。

芯に当たる球が打てない。嗚呼!両目で、いつも距離を測っているが、
これはてっきり動体視力の落ちてきた昨今、
加齢専用振り遅れというのだろうと泣いた。

動体視力低下


イージーボールを打つとき、球を見てないで、どこへ打とうか?とコートを見ている。
シッカリ当たるものとタカを括っているらしい。ナンタルチアのサンタルチア!

これは心の隙なのだろうが、これも理由は分からなくとも、
動体視力低下のなせる業と簡単に責任転嫁してきた。 オットドッコイ

振り遅れが減ってきた


補聴器を入れてのテニスはラケットに当たる球の音がポーンと響き気持ちよい。
ラリーの続くリズムも素晴らしい音楽だ。

特筆すべきはラリーでもめっきり振り遅れが減ってきたことだ。最高に嬉しい。

スピードも測っている
 両耳で、「音のある空間」を立体的に聞き取っていることからして、
音の方向を知るのは当然だが、両耳間の自然な音圧レベルの違いから、
球のスピードも測っているに相違ないと感じている。

モーションの遅れも減ってくるだろうから、怪我の対処にも有効だろう。

         

これは音の文献には散見しないが、眼と耳は交流があり、補完し合っている
微妙な神経は神業的にやって除けているだろう。・・・高野の実感より。