家田隆二八段・プロの味 高野圭介 |
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関西棋院の先生方 | プロの味って、味わってみないと分からない。 私にとって、一番最初は木下敬章五段。次いで、宮本直毅九段。そして 橋本宇太郎総帥から、本田邦久九段、橋本昌二九段やら関西棋院の先生方は、 「宍粟の碁」を編集したことから、50名にも上る先生方と 本当に親しいご指導に与ったものです。 |
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日本棋院の先生方 | また、日本棋院の先生方は細川千仞八段が最初でした。 その関係で、石井邦生九段、中山典之六段、安倍吉輝九段、 後藤俊午九段、山部俊郎九段を初め10数名の先生の薫陶を得ました。 もちろん井山裕太プロは碁吉会の棋友であったのです |
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高野圭介のスパイシー | 私:高野圭介のスパイシーによれば、 現在の関西棋院では坂井秀至・結城聡プロが私と強烈な関係にあって、 日本棋院では山下道吾プロとごく近くに結ばれている。 これは、一番打ちたい棋風の山下プロだから・・・ インターネットの捜査網がよく知っているのにビックリ |
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家田隆二八段 家研 |
さて、実際、身近に、ここ10年間連綿とご指導を得たプロは、 家田隆二八段、村岡美香四段である。 さて、我が師、家田隆二八段の日中囲碁対抗戦での活躍ぶりを お伝えしたい。その一局をご紹介する。 |
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日中囲碁対抗戦の歴史 | 中華人民共和国成立後、中国から日中友好協会を通じて 日本棋院へ訪中が依頼されたが、この時は「時期尚早」として見送る。 1957年には団長瀬越憲作、宮下秀洋、長谷川章、村島誼紀の 4棋士による訪台使節団を送る。 1959年に自民党顧問の松村謙三の訪中において、 周恩来、陳毅との会談で文化面での交流が合意される これにより読売新聞社及び日中友好協会主催の定期的な 囲碁交流が開始されることになり、 1960年に瀬越憲作を団長とする第1回の日本代表団が訪中。 以後、中国代表団による訪日と交互に行われるようになる。 |
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第5回1977年日本代表団 | その第5回 1977年日本代表団: (団長)橋本宇太郎九段(4-2-1)、東野弘昭九段(5-1-1)、 石田章七段(5-1-1)、家田隆二七段(3-4)、佐藤昌晴六段(5-2)、 井上真知子初段、菊地康郎、三浦浩(3-4)、 総戦績 30-23-3 |
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