自分に忠実に生きる

ではこのオジン・オバンの逃れられないご老体をどう生きるか?

                                                  高野圭介

 顔パス
最近、いよいよ老いていく自分を認めることになってきた。



その昔こんなことがあった。

ある日のこと、江口武雄さんが70歳を過ぎて、老人パスを見せるとき、
顔だけ見てOKとフリーパスの仕草をする。この顔だけでというのが気に入らない。
ちゃんとパスを見て確かめる必要なのに、それをしないというのが気に喰わん。
情けないが、そんなに老けたのかなぁと述懐されるのだった。

 お尻の皺
私もその年を10歳:ひと昔も上の84歳となってしまった。もう少々のことでは驚かない
電車の中でもレッキとした敬老席組である。



老人という額縁を掲げて歩いているようなもので、顔だけかと思ったら身体中だ。
ジムの風呂で、皆が向こう向いてずらり並んでゴシゴシやっているのだが、
ずらり並んだお尻の皺がしっかり年齢札となっているのに驚いた。

老人であることは肩書きでも資格でもない。それをハッキリ知らねばならない。

異世代交流
不思議と気だけは若い。全然変わらない。これは何だろうかと思う。



気が若いからといって、世代交流という名の若いもんとの付き合いというか、
行動を伴った交流は一つ一つがもう不可能ということも身に沁みて知ることが多い。
残念なことだが紛れもない事実である。


老体をどう

生きるか?


ではこのオジン・オバンの逃れられないご老体をどう生きるか?



 
That is the question. それが問題だ。

 
1.同世代との交流を持つ。 特に近隣の仲間と。

 
2.自分に忠実に。   自分のしたいことをする。


これっきゃない。