弱者の詭弁・強者の強弁

碁のパラドックス・・・もう一つの視点から

                                                    高野圭介

ウサギとカメ
 ウサギがカメを追いかけて、カメのいた地点にたどり着いても、
その時点でカメは更に先に進んでいるため
永久にカメに追いつくことは出来ない。

そのように、いくら足の速い者でも、
先に行くカメに追いつけない。
しかし、現実には、追いつき追い越している。



普通は、逆説、逆理、背理と訳されます。
この矛盾のようで、実は正しい説をパラドックスと言い、
「生か死か」「在るか無いか」のような二極が対立する
論理において生じる、ということです。


パラドックスの
本質


パラドックスののもともとの意味では、
一般に受け入れられている見解に反する命題
(ギリシア語でparadoxa)という。
日本語に訳すと,「論理的矛盾」と呼びます。

例えば,ある家の壁に「落書きするな」と落書きされていた場合,
その文字自体が落書きなので,消さなければいけなくなりますよね。

でも,
消してしまうと落書きしてはいけないということはないので
書くことができる。

結局,どっちもできないジレンマに陥ってしまいます。

こういうものをパラドックスと呼びます。

先輩と弟子
碁の先輩がでも強くなっている。弟子がその後を追いかける。
弟子の方が若いし、熱心だから、いつかは先輩に追いつくはずだ。

しかし、論理的には、弟子は先輩に追いつけないはずだ。

なぜなら、弟子が先輩をめざして1歩上達すると、
その間に先輩は少し進む。

弟子が先輩をめざしてさらに1歩進むと、
その間に先輩はまた少し進む。

こういうことが無限回、繰り返される。1回でも追いつけない。
2回でも追いつけない。n回でも追いつけない。
無限に続けても追いつけない。

つまり、いつまでたっても、弟子は先輩に追いつけない。


「強者の強弁」

「弱者の詭弁」

 

現実は先輩は万年初段。弟子は天下の5段となっているのだが。
強者は「お前は絶対に私より強くなれない」と強弁する。
ここに、「強者の強弁」と名付ける。

「弟子が先輩に追いつけるはずだ」ということに矛盾する。
矛盾の発生。

つまり、パラドックスだ。
これを「弱者の詭弁」と名付けよう。

 

もう一つの「碁のパラドックス」を前に申し上げた。



碁のパラドックス

逆説的な価値観から「どこへ打っても変わらない」

高野エッセイ No.162


AとBの碁だ。第1局、Aの先番。  第2局Bの先番。

ご覧下さい。

 


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