渾身のスポーツ

平素から先ずは足腰の鍛錬・精進が前提となる



                                  高野圭介

 スポーツ日和  
ここのところ、跳んだり跳ねたり、馬鹿に忙しい。

晴れの日はスポーツ日和。曇りの日もスポーツ日和。雨の日は碁日和。
暇を見付けてパソコン・ホームページ作り。

あ、そうだ。私の碁は「格闘技のようだ」と言われてきた。
雨の日もスポーツ日和なのである。

 囲碁三ッの顔
碁は本来三ッの顔を持っている。

娯楽性の福祉。至高の芸の文化。勝敗の極のスポーツ性。
この三ッの要素を心ゆくまで味わいながら没頭できるのが碁だ。

因みに昨今時間という制約が加わって、スポーツ性が高まってきた。
つまり、碁の愛好者は雨の日もスポーツ日和だ。

加齢という難問
ただ過ぎに過ぐるもの 帆を掛けたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。

                      清少納言




嗚呼、哀しいかな!
いたずらの加齢は否応なしに人に難問を押しつけてくる。

身体のバネが衰え、動体視力を低下させ、運動神経を阻害し、
もちろんスタミナが切れ、運動中の血圧さえ急変させる。

そうなると、全身のバランスを崩し、もはやカンフルも効かない。

 二つの幸運
加齢の極に立った今なお歪みなりにコートに立っている。
思うに私の幸運は二つあった。

一つは60才を越えて、神戸震災の時、車を捨て、自転車も捨てて、
ひたすら歩きに徹した爾来16年。足腰は強く鍛えられた。

もう一つは70才を越えて、糖尿病の宣告を受け、それまでの
生活習慣をすべて裁ち切り、
新らしい生活習慣に切り替えた。
早寝早起きを断行し、断酒(断煙は40年前)に踏み切った。

そして運動量を倍加した。結果として一病息災と、
一病をカウンターで乗り切った形となっている。


佐藤義則コーチの

走り込み持論




楽天・田中将大投手を育てた佐藤義則コーチの持論

「強い球を投げるためには強い球を投げるフォームがあり、
そのための身体作りが必要。
走らなければ投げられる身体が出来ない。
基礎は走り込むことで、単純なこと。」

田中は佐藤の指導に従い、内転筋を練り体幹を鍛えるため、

走って走って、いよいよ存分に走り込んだ。
その結果が今の前人未踏の24連勝をもたらした。

足腰を鍛える  
スポーツの実施に当たって、
打つとき、投げるとき、泳ぐとき、良いフォームで行う。それが良い。
大方ののスポーツは上半身は力を抜いて、足腰を踏ん張るのがいい。

でもそのためにはしなければならないことがある。すなわち、
一日一万歩とストレッチを怠らないで身体の基本を培うことだ。

これで素晴らしいサイクルに出会える。
各種スポーツに邁進し、ますます足腰が鍛えられていった。
老体にも田中マー君ばり(真似事)の活動根拠が蓄えられていた。


 老体向きの

スポーツ


老体向きのスポーツは疲れないようゆっくり、じわーっとするのが
良いとサゼッションを受ける。しかし常に出し惜しみは問題だ。



ゆっくりだらりと泳ぐと、
体型が崩れておかしいフォームになって反って難しくなる。
バックなど腕を真っ直ぐにして上に伸ばし、
そのまま出来るだけ遠くに伸ばして泳ぐ。
でないと浮力が無くなって泳ぎにくい。
クロールでも腕をグーンと前に突き出さないと巧く泳げない。

ゴルフでもテニスでも極力大きなフォームで振り抜くのが
気持ちが良いだけでなく、良い球が打てる。
緩んだやり方はフォームを崩し、結果も悪い。
後味悪く精神衛生上もマイナスだ。

遊び心  
遊び心も大切だ。



ゴルフではヨセワンやチップインバーディの快感.。

プールでは息を抜きつつ水底にぺたっと這いつくばる。

テニスではバック・ストロークの決め球で、ポイント稼ぎ。

碁ではどこからでも取りにいったり、死に石の活用。

 渾身のスポーツ
ともあれ、
スポーツに際しては老人用と言って、ふにゃふにゃスタンスはダメで、
常に緊張を保ち、ここ一番の時は渾身のスポーツでなければならない。
ただ、付け焼き刃は無理で、
平素から先ずは足腰の鍛錬・精進が前提となるのだが。

因みに、
青春の真っ只中、高校生の頃に1~2年走り込んだら、
足腰だけでなくて、カモシカの脚のように、
均整の取れた見事な足となるそうな。


ただし条件がある。良い指導者が居て、ワンチャンスのようですが。