火星の土地の権利書



                                                       高野圭介

 火星探査機「のぞみ」
「火星」、それはたいへん多くの謎が残されている赤い星だ。
火星には生命体が存在するのでしょうか?
人類は火星に移住することができるのでしょうか?

月の次に人類が目標とする天体、この赤い星に、
火星の生命の痕跡らしきものが発見されたこともあり、
世界中で火星に対する関心が高まってきた。

日本も1998年に火星探査機「のぞみ」を打ち上げた。
アメリカ、ヨーロッパも次々に探査機を送っている。
火星のなぞの解明、そして有人火星探査計画、火星基地の建設へ…。
火星への夢は、限りなく広まっているのが現状です。


火星の地主




1953年
ドイツ、アメリカ、イギリスなど各国の宇宙旅行協会の連絡機関である
国際宇宙航行連盟(IAF)の要請を受けて、
民間の科学者を集めて設立した研究団体が設立された。
後に「日本宇宙飛行協会」と改称されたものなのです。

1956年から57年にかけては、「火星の土地分譲」というイベントも仕掛け、
最盛期には5000人以上がこの火星の地主に名を連ねていたという。

その中には江戸川乱歩(作家)、早川雪州(俳優)、横山泰三(漫画家)、
徳川夢声(漫談家)といった当時の有名人、文化人も多数含まれていた。 

この作品に登場する「火星の土地分譲」は、1956年から57年にかけ、
「日本宇宙旅行協会」によって実際に行われていたものである。
とはいうものの、
発行されていたのは土地の権利証ではなく、
あくまで分譲の予約受付証であった。


5000人が

十万坪を分譲



「来たるべき将来、
人類が火星に到着して土地の開発事業が成功した場合には、
あなたの予約申し込みを最優先し、十万坪を分譲します」
という、
かなりマユツバな内容であった。

それもそれ、火星の土地分譲については、酒の席での冗談だったのが、
NHKの番組で取り上げられ、あとに引けなくなって始めたというのが真相で、
より大衆レベルでの宇宙開発への関心を高めることが主な目的だったようだ。

豊かな遊び心 


しかし折からの宇宙開発ブームが追い風となり、
1000円を納めて予約申し込みをしたのもそんな流行のピークのころのようだ。
ただ、今の金なら10000円ぐらいかな?

当時のパンフを見ると、申し込みをした地主たちの、
「私なら十万坪をこう使う」といった夢などが実に楽しげに語られており、興味は尽きない。

その頃の「大人たち」は、今よりはるかに遊び心が豊かだったということだろうか。


1957年、

5332番目の会員

 



実は私はその一人で、権利書ならぬ「分譲予約受付証」た手元にある。

つまり「火星太陽湖地方希望地域東地区内 10万坪」とあって、
私には「火星人たるの心構え・・・科学尊重・芸術愛好・寛大無欲友愛・
男女を超越・平和を守ること等」と、付記が付いている。

申込者は全員で5000人余りであった、と言うから、
1957年、5332番目の会員であるからには、私が最後の会員ではなかったか。
夢多きよき時代の遊び心であったのだろう。