めでたさも中ぐらいなり




                                             高野圭介

生と死 
正月になると本箱の奥からそぞろ出てくるのがこのシャレコウベ(髑髏)
これはその昔、カトマンズの市場で手に入れたもので、
親しかった女医さんお二人の合致した意見では未成年の頭骸骨のようとか。

つい詠んだ一句

めでたさも中ぐらいなりシャレコウベ  圭介

一休和尚さんのあの句

めでたさもちゅうくらいなりおらが春   一休

もう歳に不足は無いが、よく生きることはよく死ぬことと、早いも遅いも一緒で、
毎日が元気で過ごしておるとはいうものの、生死の域をさまようているようなもの。

 遺言  
無数の人が遺言を残している。
私は遺言など残すことも無いとは思っているが、感じ入った遺言は二つ。

「面白き こともなき世を おもしろく」 高杉晋作

 「この世をば どりゃ お暇に 線香の 煙とともに 灰 さようなら」 十返舎一九

 一休和尚
 楽しい遺言には一休和尚の話がある。

 一休は臨終の際「この遺言状は、将来、この寺に大きな問題が起こった時に開け。
それまでは決して読むな」と言い残していました。

 僧侶たちは、その教えを守り、決して遺言状を開くことはなかったそうです。

 一休の死後、さまざまな問題が持ち上がる度に「いざとなれば一休和尚の遺言状が
解決してくれる」という安心感もあったようです。

一休の遺言状が、とうとう開かれることになったのは、死後100年を経た後の話。
 すがる思いで開いた遺言状には、こう書かれていました。

「なるようになる。心配するな」


霊長類

地獄極楽


いつだったか、子供たちと会話の中で、つい私が口から出た。
「死後は墓よりも、広い海に散骨がいいかな」と。

子どもの誰かが「骨を海に棄てろなど、変な遺言をしないで」と言ったことがある。
元々「死即無」と心得ているから、遺言なんて書く気なんぞからっけしもない。

昔は人間は霊長類のジャンルなどと聞いていたが、
昨今、霊長類という言葉は絶えて久しく聞いたことがない。
そういえば、地獄極楽も蚊帳の外だ。 私は地獄が暇でなくていいとは思うが。



地獄極楽の掛け軸