嗚呼、よろこばしからずや 碁吉会の囲碁哲学として論語が息づいている 高野圭介 |
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嬉しいなぁ、楽しいなぁ |
孔子の論語・開巻冒頭の章 学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。 朋遠方より来るあり、亦楽しからずや。 人知らずして慍みず、亦君子ならずや。 これを碁のために意訳する(高野の意訳)と、 碁を繰り返し学び、友と碁を打ったり碁を論じたり、 棋力のことは無視して楽しめる。何と素晴らしいなぁ。 |
学びて時に之を習う |
学びて時に之を習う・・・は 私は棋書を紐解き、テレビで解説を聞き、 折に触れ碁の学習の機会がある。私はその割には実戦が少ない。 2012年度の打ち碁をすべて記録したことがある。囲碁大会の碁、 碁吉会の碁、ネットの碁、指導碁などなどの総数が324局で、 一日平均一局にも満たかった。 いつもそう思うのだが、 学んだことが盤面の碁に如実に表れるとのなると、嬉しくてならない。 論語に「学んで時に碁を打つのも亦た説ば(ヨロコバシ)しからずや」とある。 ただ、碁は打つものであるが,考えるものである。 「碁とは何か?}を自問する囲碁哲学を論じ、 「碁のメカ、碁のノウハウ」を追求する囲碁学が提唱されるのだ。 この観点に立って、 家田隆二八段の指導碁(家研・骭、)を軸に、 棋理を考える会:風鈴会やポニョの会で 嬉々として楽しんでいる。 |
みな和やかで、平和、幸せ、健康が各自の顔からにじみ出ています・・・届いた感想です。 |
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朋遠方より来るあり |
朋遠方より来るあり・・・は 碁吉会の大会、ミニ碁吉会を催すとき、 東は東京くんだりから、西は九州の果てから、遠路を遠しとせず、 懐かしい棋友がやってくる。嬉しいことだ。 かって、東京の中田良知棋友に「碁吉会ってどんな会?」と 質問したことがある。即座に彼は言った。 「朋あり遠方より来るという会です」と。 この夏、ミニ碁吉会として、 須磨から明石海峡大橋を回るヨット試乗会を催すが、 彼の中田棋友も参加される予定だが、今のところ、相棒が無い。 私は言った「あなたを一人だけにはさせません。泊まりも入れて、 最初から最後まで、私はずーっと共にしますよ」と。 |
人知らずして慍みず |
人知らずして慍みず・・・とは 元々変なことをやるのに、加齢で輪が掛けられてきた。 懸命に取り組んで、良い思案が湧いて出ているのに、 いよいよ打ったところは別のダメ手、と言うことで負けてしまう。 下手くそと笑われても、怒らず、安易に受け容れて、碁を楽しむ。 その典型的な私のマズイ碁をここに提示しよう。 |
家田隆二 八段 vs 先 高野圭介 2014年1月7日 於風鈴会 打ち初め 108手完 白中押し勝ち 高野圭介 自戦記 黒21は20の下の星に、ペタッとツケ切りのところ、と家田評。 黒65で、白70の上ノゾき、白がツイだとき右下3から一間にシマル予定だった。 何をか思いけむ、意に反して65と出てしまった。 これが、我ながら不思議な行動で、別の自分が居る・・・ようだ。 こういうのを「弱くなった」とも言うらしい。 |
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嗚呼、説ばしからずや |
こうしてみると、2014年頭書に際し、碁吉会は 孔子の論語・開巻冒頭の章の数行の件を 如実に遂行しているものと、いよいよ確信した。 嗚呼、説ばしからずや。 |