錆び付くか、磨り減るか?

                                          高野圭介

歳だなぁと実感
人間は高齢化していくと、身体が思うように動かなくなる。
碁のこと、ゴルフ、テニスのことやら毎日のことでも歳だなぁと実感する。

折しも、中国行きを目前にして、体調を整えに、いつもの整体師のところへ行った。
先生の言うには「高齢者の兆候は二つ。錆び付くか、磨り減るかなんですよ。
錆び付いてしまったら救いようも無いが、やり過ぎると磨り減ってくるんですね。」

「高野さんは、チトやり過ぎの部類ですかね。磨り減っていますよ。
やり過ぎは負けん気からきていますから、負けん気が薄れたら、碁もダメになる?
ほどほどが一番良いんですが、あははっっh」

擦り切れ人間


私も返しました。

「手当たり次第、何でも一生懸命になって取り組んでしまう。
ええ加減ならやらない方が良い。いずれ遠からず皆すり切れてしまうんですから、
バチンとブチブチに摺り切れてしまうまでやるでしょうね。たぶん。」

不思議と、私の回りには擦り切れ人間がうようよしていて、錆び付いたのは
余り見かけないように思っています。どこかに消え失せたのかなぁ。

錆び付いている


おっとどっこい、私はあちこち錆び付いている自分を知った。
擦り切れて錆び付いて両方とも欲張っていたのだ。
ここ半年一年ばかり従来かってないいろんな体験をしている。
それは決して良いことではないことだ。

頭も身体も
もの忘れが多くなっている。
昨秋来、碁もポカというか、つまらぬミスで二局負けた。
先日の中国の名人教授杯大会でも勝てば三位入賞の碁も後半別人の碁で負けた。

体調の方も今ひとつ。昨年秋の座骨神経痛から始まって、
ようやく回復基調と思っていたら、声帯肥大とか、筋肉痛とか、
あげくはネフローゼの懸念など、思いも掛けない症状に見舞われている。

人生の完成期
心身共に高齢のこともあると、医者は慰めてくれるが、
身体中が錆び付いたり、磨り減ってきているのだ。
詰まるところ、人生の完成期と受け取った。

FINISH

 昔、ダグラス・マッカーサー元帥がいみじくも言った。
 Old soldiers never die, but fade away 「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と。

 さあ、忙しくなった。完成期への弛まぬ歩みを模索せにゃ。