新年事始め


                                              高野圭介

 初日の出
元日もいつものように 6:00から須磨の浜辺へ。

あちこちで焚き火が始まった。近くの焚き火に仲間入りしたが、風が強くて、
風上では背中が寒いだけでちっとも温かくない。風下に煙も火も靡いているが居る場所がない。
天空は青空だが、水平線辺りの雲が厚く、今日の初日の出は望み薄。 



正月は2日が事始めだった。そうだ、きっと明日こそグイグイと昇る太陽に感動するだろう。

感動を生きる力に初日の出   政子


私の10年来の女友達からの電話。



「クリスマス・プレゼント、有り難う」
「ああ、美味しかった?ところで果穂ちゃん、来年、幾つになる?」
「キュー・・・」
「え?九つ?」
「キュー」
「あ、9か!、、、じゃあ、今は八つ?」
「ハチ」
「え?ハチ・・・8?」

年齢の数え方に、訓読みはもう無いのかなぁ。と思ったのが、
とんでもないことで、
「キューサイ」と言ったのが、耳の遠い私に聞こえなかったのだそうだ。

何でも人のせいにするんじゃないと、教訓1。

 Symple is best.
納めのテニスの時、テニスの女友達が言った。

「この間、初めて碁という者をテレビで見てたんです。碁って凄いものですね。
白と黒が互に順番に打っていきますが、石には将棋や麻雀のように何の印もなくて、
お互いに石を打つだけというのがシンプルで、何をしているのか見当も付きません。
こりゃ、奥深いもののように感じましたよ」

おお、Symple is best.

彼女が「コウ」というものを知ったら、ビックリするだろうし、
ウッテガエ、トントンに会うと、碁のトリコになってしまうかも知れない。

 碁吉会の自由
年末に、碁吉会の自由ってどんなこと?と、聞かれたのが自分に問うてくる。

普通、碁のグループは、職域、地域、学閥、棋院支部、などであるが、碁吉会はどの範疇でもない。
一種の無手勝流同好会的存在である。その違いは何か?

私は「碁吉会は自由がベースになっている」と思っている。

ここに自由とは、自在。心のままであること、一人一人が思い通りすること。
ただし、規定されたスケジュールは自由に選んで参加するが、
参加した範囲ではコントロールされている。そういう自由なんだ。

 打ち初めの一局
初夢は2日の朝。初風呂も2日。書き初め、姫始めも2日。
じゃあ、1日の元日は何もしない日だったのかなぁ。
でも、碁の打ち初めだけは1日からOKだったなぁ。


打ち初めの一局

高野圭介 vs 3子 宮垣 実

153手まで、打ち止め。