年寄りのプール水

                      高野圭介

無理しないで
昨今、逢う人ごとに「無理しないで、お大事に」と言われる。

今まで、気にもしなかったが、どうの回数が増えている。
いや、どうも私が無理しているように見えるのかな?
そんな意識が持ち上がってきた。

 年寄りらしくあれ!


ひょっと「年寄りの冷や水」という言葉が脳裏を掠める。
英語でも、An old sack asketh much patching.
(古い袋はあちこちほころびを直す必要がある)というのがある。

私には「年寄りらしくあれ!」と聞こえてくる。

 帰去来の辞
帰らざなむいざ・・・帰去来の辞書き下し文の和訳・・・

「致し方のないことだ、人間はいつまでも生きていられるわけではない、
どうして心を成り行きに任せないのだ、また何故あたふたとして、
どこへ行こうというのだ、富貴は自分の望むところではない、
かといって仙人になれるわけでもない、
よい日を選んで散歩し、杖をたてて草刈りをしたり、土を盛ったりする、
また東の丘に登っては静かにうそぶき、清流に臨んでは詩を賦す、
願わくはこのまま自然の変化に乗じて死んでいきたい、
天命を甘受して楽しむのであれば、何のためらいがあろうものか」

 やっぱりひや水だ
加齢も良いとこ、人生の完成期まっただ中というのに、
こういう安心立命の境地になかなかなれない。やっぱり冷や水だ。



テニスでも新しいサーブの開発に腐心しているし、
ゴルフでも安定したしっかりした球筋を手探り中だ。
碁は今なお墨守型でない。戦闘的な若々しい碁と自負している。

澤田泳法理論
プールでのことだ。異な事を聞いた。

「泳ぎ方にも年相応のやり方がある。競技まっただ中の泳ぎ方。
壮年の泳法。そして、老人の泳ぎとの取り組み。こ
れらには当然違いがあって良い。」

この説得力のあるお話は細部の詳説も実地のご指導も実に的を射ていた。

曰く「胸を張って腰を沈める。腕は伸びきらず曲げず、撓めて水を掴む。
スピードを無視して(加齢のため、速く泳ぎようがない)ゆったり泳ぐ」

異な話は異でも何でも無く、今まで聞いたこともない真っ当な理論だった。
その私の為の卓論の主は澤田良知さんと聞いた。

年寄りのプール水


明けの日から澤田理論でプールに向かった。
スタンスを固め、脇を締めたゴルフのような安定感がある。
息継ぎもスムースだし、身体がぐらつかない。
自分に向きの良い泳法と確認した。

「年寄りのひや水」は強がって冷たい水を浴びたり飲んだりして、
無理をする言動のことではなく、何と、
年寄りの(上手に付き合う)プール水のことだった。