我が闘争の禅問答 自分に言い聞かせながら 高野圭介 |
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戦わんかな | 最近、周囲が「戦わんかな、いざ」という雰囲気にあることに気がついた。 今朝のテレビでも、「TPPに参加する、しない」でどうなるか? 熾烈な論争が報道されている。どちらが勝か!である。 大阪の府知事、市長の選挙。これも強烈である。 円とドル・ユーロの為替レートの駆け引き。これも予断を許さない。 国会の与党と野党。単なる支持率の問題だけでなく、実権の奪い合い。 日本経済と、世界各国の競争。国の存亡を賭けている。 野球の日本一はどのチームが優勝するか! 一つ一つが命をかけての生きざまである。 |
参加に意義 | ついこの間まで、 Japan as No.1 時代には、何事にも「参加することに意義がある」という オリンピックの謳い文句思想が日本を蔓延していた。 たとえば、 運動会でも、1等・2等は無視してしまって、 完走したことだけで必要且つ充分としてきた。 |
ヒトラーの主張 | 折しも、『我が闘争』というヒトラーの主張が頭をよぎった。 ヒットラーのしたことは詳しくは知らないが、 ナチス優位を謳い揚げた主張であった。ただ、今では否定されているが。 この本のオリジナルタイトルは 『Viereinhalb Jahre gegen Lüge, Dummheit und Feigheit』 (嘘と臆病、愚かさに対する4年半)だったが、ナチス党の出版担当である マックス・アマンはこのタイトルが複雑だということで 『Mein Kampf』(我が闘争)に決定したという。 その論旨は特に顕著なのは猛烈な反ユダヤ主義でエスペラント語は ユダヤ人の陰謀であるといった主張、 また生存圏(Lebensraum)獲得のための東方進出などが表された。 群衆心理についての考察とプロパガンダのノウハウも記されている。 自叙伝は他の自叙伝同様誇張と歪曲がなされたものであるが、 全体としてヒトラー自身の幼年期と反ユダヤおよび軍国主義的になった ウィーン時代が詳細に記述されている。 |
協調と競争 | 協調と競争。 この矛盾したテーゼが共存する社会が本当であって、 どちらかだけでは存在し得ないのが社会である。 では戦った結末は何か?と言えば、 仲良くしながら「うち勝つ」だけだ。勝てば官軍である。 選挙には選挙参謀が居る。日本海海戦には参謀本部があった。 碁にもゲートボールにも作戦がある。その作戦は思想から派生してくる。 |
一球入魂 | その作戦は「打ちてし已まん」の闘争心。 それも当初から最後下駄を履くまで持ち続ける「戦いの姿勢」で 自分を鼓舞し、相手にも示し続けねばならない。 寸刻の停滞ないし退化は許されない。 いったい「一球入魂」のノウハウは何か! 実践に当たって 碁ならば一手一手を疎かにせず、「敵の急所は我が急所」の格言通り。 ゲートボールならば一球一球に専念して「芯から芯を打て」。 これだってTPOがある。嗚呼難しい!禅問答だ。 |