止めるのやめた 高野圭介 |
|||||||
やっぱり、止めるのやめた | 2009年11月、碁吉会で韓国へ出掛けた。 2日目の晩、楽しい韓国料理のとき、向こうの席から聞こえてきた。 「止めた。もうやめた。今度こそ止めた」 その翌朝、その人の口からもくもく煙が上がっている。 私の顔を見て「あかん、やっぱり、止めるのやめた」と言う。 私は、ははーーん、煙草のことだったな、と解せた。 |
||||||
止めながら止めないで | 昨今、メディアが一斉に報じた。 「止めるのやめた」と鳩山元首相。 「止めるのやめた」と企業献金のことを民主党。 まあ、カネマミレミンシュはオザワと共に、 止めながら止めないで、重たい業を背負うて100里の道を歩く。 |
||||||
否定の否定は螺旋状進展 | ハトヤマ・カミマミレの心を覗いてみる
|
||||||
弁証法の似非権化 | ああ、ようく分かるよ。弁証法の似非権化様 ヘーゲル提唱の弁証法に「否定の否定による発展」の法則というのがあって、 「事物の螺旋的発展」の法則とも把握されているのを。 ここに弁証法の中味について、覗いてみれば・・あるある・・・ モノゴトは正反合と常に否定しながら合成され、 螺旋状に行きつ戻りつ進化するということが。
|
||||||
泥棒にも三分の魂 | 演繹法的思考や帰納法的思考は一次方程式を解くようなもので、 ここに言う弁証法は二次方程式の世界。 つまり、等差級数、否、等比級数どころではない、もっと複雑なのだ。 もともと、宇宙人の思考は弁証法を短絡的にして出てくる。と言えば凄いと感嘆するが、 実は宇宙人が軽るーーくええ加減に言うても、一般の地球人は煙に巻かれ、 ひたすら感心するばかり。 おお、哀しき性。 泥棒にも三分の魂というじゃないか。分からなくても分かってあげなくちゃ。 |
||||||
勝ち負けを超えた持碁の精神 | まあ、宇宙人の世界では、否定は肯定であり、正こそ邪なのかな。 そうだ。勝ち即負け。そのぐらいでないと、碁は打てないぞ。 碁は勝ち負けを超えた持碁の精神が問われるものと、佐々木滋 雄は喝破している。 cf:『すざら碁仙』・・「持碁の精神」佐々木滋雄p.168 |