蛮力と軟弱と均整

碁のジャンル棲み分けは無いものか

                                         高野圭介

強いのも、弱いのも
そもそも棋理をわきまえ、実力のある強い人などというのは
プロ、ないしトーナメント・アマぐらいのもので、

普通は少々お勉強が進んでいても、形は良いが力不足で軟弱か、
はたまたお勉強もだが、実戦が多く、
そこそこ力があっても蛮力か、と、相場が決まっている。

そして、自分より強そうなのもわんさと居るが、
自分のお客さんになりそうなのもまた、わんさである。

「蛮力と軟弱」
これを、仮に「蛮力と軟弱」に分けたら、
自分自身はたいていどちらかに当て嵌まるものだ。

一般には、あくまで一般論だが、
「街の碁」と「紳士の碁」などと言う人もいる。

袋竹刀の剣術
『宮本武蔵十二番勝負』柘植久慶著の「小次郎との巌流島の決闘」に、
吉岡道場のことを、武蔵の口から述べさせている。

「袋竹刀の遊戯同然の剣術を続けていると、
実戦ではからっきし意気地がないという良き証拠にて・・・・」


つまり、お稽古だけの碁の軟弱さを言い得ているのか。

次郎長一家
一方、街道一の大親分・次郎長一家の、
大政・小政・大瀬半五郎から始まって、森の石松も強かったが、
そうは言っても、丁半世界・ドスを片手の渡世人だ。
プロの剣士に比べたら、まず、蛮力というもの。

実戦で鍛えた碁打ちの様相だ。

新陰流達人
さて、剣のプロ・柳生十兵衞三巌は柳生但馬守宗矩の長男で、
新陰流達人。

後世、片目に眼帯をした姿で描かれることが多く、これは、
尾張の新陰流の伝承に、幼い頃形の燕飛の月影を修行中に
父・宗矩の木剣が目に当たり失明したという話や、

鳥を虐げた十兵衛が宗矩の怒りに触れた時に宗矩に挑戦し、
宗矩の投げた石を交わし損ねて右目に当たった等の話が残っているが、

肖像画の両目はあいている。


碁で言わばプロの世界。華やかな見せ場とは裏腹に、
キビシイ修練の賜しか言いようがないのだが、
ヨミとカンの均整の取れたプロの世界。

棲み分けて、
この三つの土俵を、
ごっちゃ混ぜにすれば、悲喜こもごもとなりそう。

なるべくなら、それぞれが棲み分けて、
折に触れ、相互交流を図るなどが平和なのだが。