太閤碁(大名碁)

                                     高野圭介

谷川岳に登る
昨、2006年7月11日、魔の山・谷川岳に登ってきた。
トレッキング用の登山靴を履いて、
まるでアルピニストかと、聞こえは良いが、
ロープ・ケーブルを乗り継いで行ったので、まるで大名登山であった。
又その前日は、吹割れの滝・鱒飛びの滝がまた凄かった。


昼晴れて
夜降って


     
   谷川岳                          吹割れの滝
大名雨
ここのところ、梅雨の雨予報が続いている。
又雨か、と思ったら、降らないで、蒸し暑いままなのだが。
それでも、夜半に降っては昼間は曇りまた晴れ。
だから、私たちの行動には殆ど支障はなかった。
「あ、これは大名雨だ」


大名風呂
昔は五右衛門風呂で、
弥次喜多のように下駄までこそ履かなかったものの、
周りの鉄板に触らないように、そーと入る。
しかも、熱いのを我慢して、食いしばって蹲っている。
特に冬など、ぬるま湯に入って、熱く沸かしてもらって
ほかほかと湯気の中を出て行く「大名風呂」にどれほど憧れたものか。


豪華大名
大名の参勤交代は藩の財政を圧迫させたが、
大名行列として名を残し、
百万石」の名前は豪勢さをイメージさせている。

大名は好き勝手なことの出来る権力者で、
良いなぁと、思うのだが、そうもいかんこともある。


名君の条件
八幡和郎著『江戸三百藩・馬鹿殿と名君』に、

江戸時代を生き抜いた大名の三百態を観て、
「名君の条件」など、つぶさに論じているが、
俗に三百藩と言われる幾多の大名にも、
天知る地知るで、不遇の生じることもある。


竹田城主  
1600年に、但馬の竹田城主となった赤松広秀
領民に悪政を敷いたことで、家康から切腹を命じられ、
鳥取の真教寺で自刃した。


太郎冠者  
狂言の太郎冠者は、
ちょっと薄のろで人の良い大名をからかう場面が出てくることがあるが、
権力者なるが故の、喜劇の主役になる悲哀もある。


太閤碁  
世に言う太閤碁。これは大名碁とも言うべきか。
 ご存じのように、真似碁の元祖。少々非力でも、権力者の名の通り、
どんな名人上手に対しても、勝てなくてもなかなか負けない。
そのような碁の手法だ。

 でも、実際相手が打ってくると、嫌な気分だから、
これがまったくおかしい手法かと言ったら、そうでもない。
かってのトップ棋士・藤沢朋齋も愛用したし、今でも生きている。

とは言え、自分が打ってみようという気にもならないが。