難 得 糊 塗


−賢けりゃ呆けよ−
                                        高野圭介

 中国の碁友から一本の扇子をいただいた。
扇面には「難 得 糊 塗」と書いてある。

鄭板橋の人物評

 鄭燮(テイショウ、康熙32年(1693年) - 乾隆30年(1765年))は、
清代の画家、書家。鄭板橋は画家としても名を馳せていた。
糊塗難の世界はきっと彼が描いた竹林にも映し出されているのではと。



中国人の大半が知っているという。
しかし、意味を聞けば「難しくて」と、
そのほとんどが訳わからずに知っているだけで、
真の意味は何かという返事はなかなか返ってこない。

聡明難   糊塗難  由聡明 難得糊塗
而転入糊塗 更難   放一着  退一歩
当下心安   非図後  来福報也


                     鄭 板橋 識

   「糊塗なるは得難し」読み下し    鄭板橋

聡明なるは難し、糊塗なるは尤も難し、
聡明 由(よ)り転じ
糊塗に入るは更に難し、一着を放ち、
一歩を退き当に下りて心安んずべし。
図りて後に福報きたるに非ざる也



 
直訳すれば以下のようになるが、全然核心を衝いているようなものではない。

 賢くしていることは難しい。 ぼんやりしていることも難しい。
 賢くてぼけーっとしているのは更に難しい。
一歩前に進めたり 一歩退いたりすることは
 そのときの気持ちを落ち着かせるためであり、
将来の福を企てるためでない。

「難得糊塗」の「糊塗」には「バカ」とルビがふってある。
「聡明」の反対が「糊塗」である。よって「バカは得がたし」。

 詩の意味は、「聡明になるのは難しい。糊塗になるのも難しい。
聡明転じて糊塗になるのはさらに難しい」くらいか。
 聡明になるのは確かに難しい。これはよくわかる。しかし、
知恵をつけ、知識を得て聡明となったうえで、
そこから転じてバカになるのはもっと難しいという。
知恵や知識といった、いわば「作為」を剥ぎ取って、
「糊塗」の状態になるのは難しいということか。
チラリ、大賢は大愚に似たりという言葉も思い出される。


 いろんな訳を大勢の方に聞いたが、
十人十色で、後半の部分は特に難しく、
「放一着 退一歩」は「一着を譲り、一歩を譲る」とか、
「行ったり来たり」のように、
同じことを言っているので、「いろんなことに出くわしたときに」
程度の意味かも知れない。つまり
「人との接触には少々のことは大目に見て、
急所に追い込むな」とかの解釈が有望だった。

 最後の「非図後来福報也」は反語になっていて、
一歩を譲って、賢くぼけていると、うまく行ったからと言って、
呆けのまねをするようなことをやったから、
将来のしあわせのためにうまくいくというものではない・・・とも。

 英語で、注釈した人も居た。

「If  ren rang 
(忍譲) then you will have happy life and bright future.」
つまり
「忍と譲」が輝かしい人生をもたらすであろう。

ここに
人生訓としてぴったりと感じたのは「賢けりゃぼけよ」だった。