置碁攘夷論

                                                                高野圭介

攘夷とは心の気概
現在日本の「謝罪恭順」主義は日本人から独立心を奪い、
「豊かに生きられたら、名誉なんて、どうでも良いじゃないの」となってきた。
引いては、中国やアメリカで反日映画が作られ、韓国の竹島問題や、
米下院外交委員会で、慰安婦対日非難決議案が可決された・・など、
諸外国から軽蔑される存在になってきた。

 この反日の嵐をどうするか?
小林よしのり著『平成攘夷論』に反骨の論を展開している。

「吉田松陰、西郷隆盛、阪本竜馬もみんな攘夷だった。
日本人は明治以降も攘夷の心を持ち続けたからこそ、
欧米列強も一目置いて、独立を全うできたのだ。」
攘夷とは心の気概だ。と、彼は論破する。


置碁の悲哀
私は読みながら「置碁の悲哀」に思いを馳せていた。

黒が幾ら石を置くにしろ、白は次から次に無理難題を吹っ掛けて、補償を迫るのである。
黒自身はきちんと定石を打っている。あれこれの格言を遵守している。
例えば「ツケたらハネよ」「二目の頭は見ずハネよ」「空き三角」などなど。
それでも、うまく行かない。

白に反発したいのだが、自分を主張したい、あるいは、
攘夷の精神で手を抜いて攻撃に転じたいのだが、・・・
そのチャンスがなかなか与えられない。

自分の碁を創る


いったいどうしたら、白の圧力に対応出来るか?
打ちてし止まむの心の気概をどうぶつつける?

白の牙城を脅かすには、心の気概をぶっつけるのが一番で、
「打ちたいように打って自分の碁を創る」