須磨の百日紅

                         高野圭介

義経がひよどり越えから、逆落としに平家を攻めたという
一の谷は地元では「裏山」と言い、登山のひとつのルートだ。
山と海に挟まれ、サンドウイッチになった地形を想像して欲しい。

山系が海岸にせまっている。
その海ぎわの一筋の街道が、日本の東西をつらぬく
頸動脈であることは、今も義経の活躍した当時も変わらない。
雄渾なほどに、単純な地形である、と。

司馬遼太郎はこのように表現している。

 北は須磨離宮、南は白砂青松の須磨海浜公園があって、
その真ん中あたり、潮風の中に住んでいるわけだ。
どちらへも徒歩15分という風光明媚というか、町田舎である。
しかし三宮の繁華街へは電車で15分という便利さもある。



 近在では春は綱敷天神の観梅に始まって、妙法寺川の夜桜。
夏のはしりには六甲森林植物園へ紫陽花を、
須磨離宮公園には菖蒲を観に出掛ける。

 今年の冷夏も花は知らず、海へ行く道すがら咲き乱れている。
山梔子、サルビア、カンナ、浜木綿、時計草、芙蓉、
紫陽花、向日葵、朝顔、夾竹桃、シャリンバイ、
ホホズキ、クフェア、楊梅、睡蓮、蓮、百日紅・・・
他に名も知らぬ花々で毎朝楽しみながらの散策です。



 この世のものとも思えない美しさは蓮で、聞いていたのは
日の出と共にパチンという破裂音で花が開くとかだったが、
まさにこの時、には未だ出くわしてないな、と思っていた。
しかし実際は開花時に花弁の擦れ合う
スポッという微音程度らしい。

それでも、仏教が勝手にお浄土さま別製と決め込んでいるだけに、
さすが色のぼかしの具合と光沢は並の花ではない。
早朝、余りの美しさにこの花をと撮ろうと思って、
二,三時間後にカメラを持参しても、もうダメで、
容色はワン・チャンスの花だ。

 道すがら、真っ赤な紫陽花を見付けて、愛でていると、
中から奥様が剪定鋏を持って出てこられ
「嫁いだ娘が植えましたのよ。愛でる方には差し上げてほしい」
と言ってましてと、一枝剪って頂きました。



また、真っ白な百日紅の早咲きを愛でていると、
「まあ、どうぞ」と、ご主人が一枝剪ってくれました。
花を愛でる人にはこうするものかと感心したが。

 百日紅は花の一つ一つはじっくり見ると
優美なひだの組み込んだけっこう麗しい形状の花で、
あざやかなピンクの(あるいは紅や白の)
もこもこのかたまりで、くたびれた感じは全くない。

昨年夏、炎天にたじろがず咲誇る姿に感動して、
「炎天に立ち向かう百日紅が大好き」と
愉美子さんにメールしたら、折り返しメールが返ってきた。
「百日紅の花言葉は雄弁です。さすが、
碁石はいつも雄弁に物語っていますからね」と。