ぎくしゃくする駐車違反

                                           高野圭介

奈良の正倉院
私が愛車を手放してもう一昔、10年になるから、
それ以前のことである。
 奈良の正倉院の宝庫が美しい高床式と聞いて、見に行った。

鄙びたところに、ひっそりとたたずんでいる。
車をどこに停めようかと、見回したら、女性のお巡りさんが居た。
わざわざ降りて、聞いた。
「ここは駐車違反でしょうね。どこかパーキングはありませんか」と。

「ええ、今あなたは駐車違反ですよ」と言われ、
もっともだと思う前に、「ひゃー、キビシイ」と思った。


悪法も法なり
今回の「駐車違反の民間監視」は施行上、
開始と同時に、ぎくしゃくとしているようだ。

もちろん、迷惑駐車禁止はいいことだ。でも、
門札を確かめに車から降りるのは難しいのか、
水を買いにいくことも出来ないのか?

道を訊ねに降りたら、駐車違反!となると、運用面が怖い。

 社会正義で法治国家が形成されているはず。
決まったことは守らねばならない。
混乱させるエセ社会正義はいかがなものか?

「悪法も法なり」とは「in low もout low 」みたなもので、
「悪代官も代官は代官」と一緒。

例外なく適用
施行上、例外なく厳しく適用ということだが、
郵便車だけは除外、医者の車はfree。
「これだけは許される」「何のかんの」と、
例外が設けられているのが納得できない。

法の下に平等であるべきなのに。
抜け道があるのをざる法というが、難しいことになった。

赤信号を待つ
前の話だが、夜中に、車の少ない横断歩道で、
赤信号をじーと待っている人をどう思うか、と聞かれたことがある。
法の遵守といっても、状況判断は必要なのではないか。

住民パワー


矛盾しているものが、どうしてそのまま存在しうるか、疑問である。
おそらく世論、ないし住民パワーが何らかの変化を呼ぶものと思う。