52en EUROPEAN GO CONNGRESS LEKSANND SWEDEN 2008/08/18 今年(2008)のヨーロッパ・碁・コングレスは スエーデンのレクサンドで行われた。 ストックホルムから列車で約3時間のところが会場となった。 参加者は927人(players731人) 日本人参加者121人(players94人)であった。 加田美保子自戦記 |
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私たちは大会前、途中のウプサラに一泊し観光した。 1447年に.創立したウプサラ大学を中心として栄えてきた町がウプサラ。 市内には研究室や教室が散在し、まるで大学と町が一体化しているようだ。 午前中のみの観光だったが、フィリス川沿いに沿って歩き、そして、 静かなウプサラの町を一巡した。大聖堂はウプサラのシンボル。 (地球の歩き方から) |
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★ ヨーロッパ・碁・コングレスはメイントーナメントを中心に組まれている。 1日1局、2週間で10局打つ。持ち時間は段級位によって異なるが、 3級〜3段までは2時間。私は、トーナメント前半の5局に参加。 メイン・トーナメントは、互戦で打つ。 成績がよければどんどん上の人と当たり、逆もある。コミ7目半である。 応昌棋は、最大のスポンサーであるからこのルールを採用している。 |
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27日(日) 1局目 対戦相手 Janine Boehme 最初は可愛い男性かと思ったが、女性と気がついた。 彼女が黒・私が白。 いつものことながら、対戦相手は時間をたっぷり使って打ってくる。 終盤まで勝てるかなと思っていたが、「応昌棋ルール」により、 コミの4個を入れ、整地した結果、黒の2目勝ちであった。 10時開始で終了したのが1時30分であった。 少し疲れたので誰かいないかなとテントの方へ行くと, 宮本先生と西条先生がおられた。 ふと気がつくと先程の対戦相手が追っかけてきた。 どうも解説していただきたかったようだ。 「お二人とも良く打っていますよ、ここまでは100点満点」と 西条先生の英語と宮本先生のコテコテ?の関西弁で 無難に言っていただいた。 対戦相手の方は、 日本のプロの先生の講評をうけ、とてもうれしそうに去っていった。 |
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2局目28日(月) 対戦相手 Hanke Patrick 2目負け 終盤、彼の方が良い手を発見し、私の地に少し入れた。 あまりのうれしさに棋譜を採る手が震え、記録する順番を間違えた。 私は、そんな彼に日本から持ってきた棋譜シールを全部上げてしまった。 3局目29日(火)は大ポカで敗退。 すべては忘却の彼方へ。 |
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3敗した後の4局目 対戦相手は Miselis Gintas リトアニアから参加. やっと片目が開いた。 私がコングレスに参加したとき、必ずリトアニアの人との対局がある。 なぜか親しみを感じる。いつもお揃いのTシャツを格好よく着ている。 |
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5局目 8月1日(金)対戦相手 Markus Krupp いよいよ最後の対局である。 彼は最初からよく考える。 私は、2時間くらい経過したとき睡魔に襲われたので外に出て水を飲んだ。 彼の方は秒読みがずっと続いている。秒読みは永遠に続くようである。
結果、私の6目勝ちであった。 その後が大変、 悔やまれる箇所がいくつかあって、その説明で30分かかった。 部屋を出たのは2時を過ぎていた。 翌日、「ヒヤー ヒヤー センテ」と言って近づいてきた。 どうも左下のヨセを先手で寄せられたのが悔しいようであった。 勝敗に対する執念のようなものを見た。 |
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★ ペア戦 メイン・トーナメントのほかにたくさんの対局が企画されている。 その中でペア戦は人気である。 何か月も前にペアが決まり、 東京まで何度も遠征して練習したペアもおられたとか。 「まずい手を打ったら離婚するよ、と言われているの」と 楽しそうに話す人もいらっしゃる。 今年のペア戦はノーハンデ、所謂互戦あった。 予選は各組に分かれて4局 各組の上位が決勝に進出。 私は千葉の馬場さんとペアを組んでいただいた。 予選4局の中でもっとも印象にのこり反省している対局がある。 対戦相手は韓国男性七段と女性12級。 私たちは相手の石をうまく攻めて進行していった。 終盤、私の一手のミスで相手の大石を取りそこなった。 喜んだのは対戦相手であった。 「それにしても12級の女性は強かったね」と馬場さん。 謝る私に「いいよ、いいよ」と言ってくださった彼は紳士である。 ペア碁のお世話を一手に引き受け、 頑張っていたスタッフの方には頭が下がりました。 2日目には声がガラガラになって、 頭から湯気?が出ていたような。 |
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★七夕会 ポーランド・ツホーラ2004年大会では楽しい出会いがあった。 愛知県から参加の町井さんと武田さんである。 町井さんが「日本人参加者名簿を作りましょう」とおっしゃった。 私もお手伝いさせていただいた。 会場入り口に紙と鉛筆を用意した。 大会中毎日確認したが、鉛筆はなくなり、記載してくれる人は少なかった。 町井さんのきめ細かいご努力で名簿が完成した。 「会の名称はどのようにしましょうか」と町井さん。 私は即座に、 1年に一度のコングレスに参加して、 みんな元気にお会いしましょう、 という趣旨で「七夕会」と言った。 当時は仮称でスタートした。 今年の七夕会には、たくさんの方が参加された。 人が増えるということは素晴らしいことであるが、何でもありに通ずる。 少し雰囲気が変わってきたように思い残念。 |
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★梅艶囲碁サロングループ 大会参加中に素晴らしいグループに会った 梅艶先生率いるチームである。 梅艶先生は中国棋院のプロ棋士 Peayersは高校生と中学生を含む6人。 彼らは、さわやかでマナーもよく、碁も強いと思う。 そして、そのチームのお世話をしておられた峰松志恵・範子母子は素晴らしい。 この大会で素晴らしい人に出会ったことに感謝しつつ… |