須磨・ゲートボールの歴史と現況

                                      2011年12月
                                                    高野圭介



 ゲートボール60年
ゲートボール(Gateball)
は、日本生まれのスポーツです。
1947年、北海道在住の鈴木栄治氏(のちに和伸に改名)が、
ヨーロッパの伝統的な競技「クロッケー」をヒントに、
戦後の混乱期で満足な遊び道具のない子どもたちが、
手軽にできるスポーツとして考案しました。
北海道から九州に飛び火し、やがて全国網の組織となったものです。

ゲートボールの人口の推計は、190万人(10歳以上)となっています。
いずれにしても現在14万人の審判員が日本ゲートボール連合に登録されております。

世界的にみると現在30以上の国・地域に普及しており、
世界ゲートボール連合・アジアゲートボール連合に加盟している国・地域をはじめとして
約1000万人の人たちに愛好されています。

 須磨の歴史30年
地元・須磨のゲートボールは
ゲーム創立から30年後の1980年頃には導入されていたらしく、
2009年頃に、30周年の記念イベントが計画されていたようです。
したがって、2011年現在では30年の歩みがあります。



 須磨の組織
須磨のゲートボールの上部組織としては2つのルートがあります。
1つは県連(兵庫県連合会)もう1つは区老連(須磨区老人会)です。

県連はフォーマル組織とも言うべく、
全兵庫県(姫路)の望月。神戸県連の北浜という二人の先達の傘下にあって、
ルールの改正、審判の統括、正式の大会の持ち方等々を管轄しています。

区老連はインフォーマルというか、ルールなど比較的緩やかで、
取っつきやすさがあり、それぞれの持ち味があります。

殆どのプレーヤーは区老連のメンバーであり、その内、数人が審判の認可などのため、
県連に所属してきたことも事実で、その傾向は現在もそのまま続いている。

県連と区老連
因みにグループとしての区老連の「離宮」は、県連では「離宮前」で、
区老連の「風月」は県連では「月見山」である。
県連のイベントは年2回の「指導部会大会」と「月例会」と2つの大会があり、
区労連は「須磨区月例会」がある。

今でもそうだが、県連では、2級審判員ともなれば、
淡路で泊まり込みで理論と実地の強化合宿があって、厳しい管理下にある。

現在では須磨区老連のチームの数も減って、
離宮、風月、長寿、ホワイト、むつみ、竜が台の6つぐらいで、
どのチームもメンバー5人の編成が思うように揃わず、
1人2役の出場がやむを得ないのが実状で、将来展望は難しそう。



 須磨10年の歩み
10年前のかっての隆盛状況を見ると、今では想像もつかないほど盛んで、
離宮×2。風月×2。ホワイト(白川)×1。むつみ(白川)×1。竜が台×1.横尾×2。
北須磨×3。他に、長寿。須磨寺。大手。外浜・・・等々計24〜25チームがあって、
6面のコートを使って大会を催していた。
普段の練習も同様で、人数が多く、順番待ちの練習風景だった。

須磨では

当時の指導者は風月の山本貞夫と離宮の堀口末吉の両巨頭の両輪で
ゲートボールの運営は回っていった。
山本は県連と区老連の双方に入ったが、堀口さんは県連に入らなかった。

山本の下に、藤原政幸、藤原捷司、西城戸政幸らが居て、川崎が転入してきた。
私・高野は老人会は離宮前だが、風月の一員である。

堀口の下には、合田澄夫、肥塚哲夫(ただ今、6年選手)、新村鉄三郎夫妻、
炭富某夫妻、折口夫妻、東田、関口、山崎らが育っていった。

今は昔の話


厳しかった堀口主将

                                   合田澄夫


指導は厳しく、よく叱られたものだ。

雨の日も風の日もゲートボールの練習は続いた。雨の日は、
あの、ゴミの青いポリ袋に首と両手の通る穴を開けて、
タン・タン・タンクロウみたいな格好で、コートに立ったりした。

もちろん、アルコールは厳禁で、マナーもうるさかった。

もう一人の指導者・山本主将も同様に厳しかった。
今は昔の話である。 



現況

風月・離宮前・長寿


風月は稲葉公園で、火・木・土。離宮は離宮前公園で、月・水・金であったが、
現今は、稲葉公園だけで、火・木・土の週3日だ。

長寿というチームは、衣掛公園で、例会日が月・金の週2日。
リーダーの加藤女史が90歳代の高齢で、
今は運営は藤原政幸の手に渡っている。他に高坂さんも90歳代で、
若手?は高橋利幸、田中貴美子だが、すでに70歳半ば。加齢の苦悩を諸に抱えている。



 友好の長田
ゲートボールは極まりの良いゲームで、
例会でも大会でもたいてい午前中に終わってしまう。しかも、
開始も終わりもどのチームも同時刻!ルール上とは言え、これが素晴らしいことだ。

仲良しグループとしての長田の実態は私には殆ど分からないのが本当です。

まゆみチームの長畑恵美子や原田豊・冨美子夫妻を中心に回っているようだが、
主体を為すデフ(聾唖者)のグループの方は尼崎と長田の交流も素晴らしいようで、
とても明るく皆さま嬉々としている。

どうもゲートボールは聾唖者には最適のゲームと見えてきた。