100年のタイムスリップの中で行く、中国東北地方のツアー

2009年7月16日~21日

1904年のロシアとの交戦から、1945年の敗戦へ。
灰の中から蘇った日本の、命がけの回復から未知の世界へ

                                                                   高野圭介 


 「中国東北大周遊」

-定年後・雨にも風にも負ける生活-

宇田 武一

 このツアーにご一緒した棋友のブログです。


偽満州国 
 思いもかけず、中国東北地方(旧満州国)に足を入れて、
「偽満州国」という呼称に驚愕し、あっという間に日露戦争へタイムスリップした。



偽満州国(偽は傀儡の義)

ツアーの6日間
ある時は清国のラストエンペラーへ。北鮮からの脱北者。
あるいは満鉄王国の権力。また、203高地の激戦。
そしてまた、スターリン広場とロシア文明の哈爾浜(ハルピン)。




満州にいる6日間、想像と乖離した現実に、私は心身不安定のまま、
20世紀・100年の時空を宇宙遊泳していた。

 旧・大和旅館  
折しも、大連賓館(旧・大和旅館:満鉄経営)に掲げてある文言。



「大連賓館は百年の風雪に耐え・・中略・・大連の歴史とともに歩んでいます。
お客様と共同百年歴史の回顧と百年成果の見聞をしたりすることを歓迎し、云々」
と記されているのを凝視しました。

日清・日露の戦い 
母から子守歌と聞いていた「水師営の会見」
「旅順開城約成りて、敵の将軍ステッセル・・・」
がありありと蘇ってきた。



 考えると、100年前の203高地情景が生き生きと記憶が蘇った私にとって、
更に祖母から聞いた日清戦争の話は、なお、10年まえの話だった。

一方、将来については、私の孫が今、中学生で、留学したいと言っている様子からして、
50年先の様子もおぼろげながら空想が付くではないか。




高野圭介の聞いた、見た、夢見た、160年間の年表


1894年 日清戦争。
1904年 日露戦争。

1931年 高野圭介生まれる。

1934年 満州国建国 愛新覚羅溥儀(ラストエンペラー即位)



1937年 支那事変勃発(盧溝橋事件)
1941年 太平洋戦争勃発。
1945年 原爆投下。ポツダム宣言受託。敗戦。

1950年頃から日本奇跡的復活へ
1969年 月面着陸
1978年 中国へ行って、碁を打つ
1985年 プラザ合意以来バブルに突入。 
 Japan as no.1
1990年 バブル破綻開始。グローバリゼーションの怖さ。
2009年 サブプライムによる世界恐慌のまっただ中。

2050年 孫が親になり、親が華麗・加齢

 

 160年間の時空
この破片のような歴史も、過去は日ごとに風化され、
将来予測はアテもののごとく空想から逸脱出来ないだろう。

それでも、この私・個人の体験期間、1890年~2050年の160年間の時空は、
キリスト生誕から2000年とする膨大な人類の営み:歴史の、
ほぼ10分の1の凄い歴史を見、聞き、予測することになる。

さあ、たいへんだ、今の私は点と点を結んだ膨大な期間のまっただ中にいるとは。
いわば大方江戸時代の大半の歴史を知ることが出来るわけだ。




東北地方のそれぞれの都市

丹東
北朝鮮との活発な交流・丹東市
丹東市には「北朝鮮区」があって、ランチは北朝鮮料理。鴨緑江の向岸は北朝鮮で、
河の真ん中が国境。船から見た東西の国の様子は全然違う。

   

2009年の脱北者白書

北朝鮮へは丹東から汽車で行けるし、瀋陽からは航空便があって、ツアーもある。
北朝鮮の管制ぶりはあたかも20年前の中国そのままだ・・という。 

瀋陽
瀋陽(沈陽:旧奉天)は中国第3の都市。清国太宗ヌルハチの出身地。
三代目から清と改名し、北京に遷都した。



満鉄の根拠地。満映も懐かしい名前だ。

長春
長春(旧新京)はラストエンペラー 愛新覚羅溥儀の舞台。



一口に言って、長春は自動車・大学。・森林の街と、紹介された。
市内には関東軍・満鉄の足跡が数々散見され、
当時の建築物はそのまま重要な役目を果たしながら存続している。

中でも最も強烈だった
「偽満州国」即「満州国を認めない」という
ネガティブな言葉に初めてお目に掛かった。

それにしても、日本人は忘れっぽいというか、執念深いの全く逆である。

 ハルピン


安重根志士


ハルピンはロシア人の街。

北へ行くと、チチハル・ナホトカ・・などと、あって、
どうも昔はロシアの支配下にあったのでは?と訝っていた。

ところがそうでなくて、日露戦争で敗退したロシア人がハルピンに集結して、
ロシア人街を形成していったという。
なおハルピン名は満語のアルチンがハルピンに訛ったものという。

それでも、
毛沢東の親友・スターリンに敬意を表して、スターリン公園を作り、銅像も建立した。



その昔伊藤博文が安重根に暗殺された駅(上)はすでにない。

 大連
大連は不凍港で、日本へ引き揚げ港で、知られていて、良港中の良港。
緑も多く、とても美しい街。



203高地は中国にとって、国の恥という「意味深だが」
ロシアに対してか、日本に対してか?格別の意義がある。




見たまま・聞いたまま・想像のまま

中国の鉄道
中国の鉄道も変わった。「以人為本 旅客至上」とスローガンが掲げてある。



どこまで本当か分からないが、
中国共産党の幹部が一等軟座寝台を占領したので、
旅行者は閉め出されて二等硬座寝台に回された。

中国のテレビ
中国のテレビは西遊記・水滸伝・三国志・少林寺などは一通り見た。
日本の、忠臣蔵・太閤記・武蔵と真田・源平合戦に当たるのだろうか?

 ただ、今なお(従来からずーっと)
日本兵は日の丸を付けた銃剣で、のろまなゲリラ作戦をやっている番組を見た。
これはどう理解すればいいのだろう。

 また、日本のNHK・BSTVは自由をモットーに中国でも見られるが、
混迷を深める民族運動の場面では、
報道管制のためであろうか、プツッと切られてしまって、見られない。

高句麗のこと
初め、朝鮮の高句麗がこの東北地方に進出していたか?と思っていた。
それが、そうではなく、東北地方に生まれた高句麗が朝鮮に進出した。

滅んだ後、今の韓国に残っているというのではないか?

それとても、中国東北地区(満州地域)から朝鮮北部にかけて、
紀元前後~7世紀の歴史に登場する「高句麗」、
この古代国家の歴史が韓国と中国の間で摩擦が続いいる。

 


高句麗の歴史


三国時代の地図、5世紀終わり頃 (田中俊明・高句麗の歴史と遺跡より)


高句麗の盛衰
 

三度の遷都



高句麗は、古代東北アジアにおける大国であった。
百済・新羅とならぶ朝鮮3国のひとつと知られているが、
なかでも最も早くに政治的成長をとげた。

鴨緑江の中流域およびその支流である渾江の流域などの谷部や山地を本来の在地として
BC37年、最初の都を五女山城に首都を置いた。

二度目は、国内城と丸都山城の、平地と山地に、一時に二つの都を置いた。
これは相互に補完しあえる関係にしていたという。

三度目はAD427年、北鮮の、平壌に遷都した。
やがて
AD668年に内紛から唐・新羅連合軍の攻撃をうけて滅んだ。

中華と任じた
700年余りにおよぶその興亡はひときわ光彩をはなち、しばしばそれを規定した。

盛期である5世紀を前後する時期には、南北朝時代の中国王朝を中華としてあおぎつつも、
周辺の諸国に対しては、みずから中華と任じた。

 
最大版図
そのころ実現した最大版図は、西北は遼河、東北は牡丹江方面、
さらには南は朝鮮半島中南部にまでおよぶ広大なもので
現在の中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の
3国にまたがった領域を擁していた。

政治・経済・文化の中心である王都にかぎってみても、427年までは中国東北部に、
それ以後は北朝鮮の現在の首都である平壌地方におかれており、
現在の国境の枠にはとうていおさまらない。

高句麗研究
そのためとうぜんながら、高句麗の遺跡は3国にひろがっており、
また高句麗系の人びとが日本列島に渡来して残した足跡として指摘できるものも知られている。

高句麗研究のむずかしさの一因は、じつにそうした現状にある。