(02)  吹き溜まり

                                                    高野圭介
 
追儺式
 節分には長田神社で追儺式(ついなしき)が執り行われた。
麦藁の松明の火の粉と振りかざす真剣の輝きが夜空に厳かに舞う。
 
一般には鬼は「神に祀られない者」というのであろうが、
この儀式に出場する七匹の鬼は「神々のお使い」としての鬼であり、
神々に代って松明の炎で種々の災いを焼き尽くし、
一年の無病息災を願うといった招福の儀式である。

 古来、長田神社には仏教の薬師如来も祀られていて明治の
大変革以来二者択一の中で、薬師さんは社外にて祀り、
薬師さんにまつわる鬼の行事だけ残ったというのである。



宗教の自由
 思うに、日本は多神教である。キリスト、イスラムユダヤなどの
一神教とは異なり、神仏はもとより道教儒教でも
平気で合わせ祀る特性をもっている。

 これは各国の宗教の排他性が日本では穏やかな対応であった。

日本古来の神道が曲折はあったにせよ、宗教の自由として、
いろんな宗教を合わせ受け入れてきたことに他ならない。

余韻の日本
 チベットとか、中国で生まれたとか言われる碁も、中国の碁、
台湾の碁と日本の碁とは趣きを異にする。

 前者はすべてを言い尽くす意味があるし、後者は余韻を残す。

これはルールにもはっきりしていて、前者は生存権を争うというか、
地と盤上の石の数を足す。台湾でも碁石で盤上を埋め尽くす。

 後者日本では地の数だけで事足りており、
ダメに至っては無視どころか、手入れすら当然あるべきものとして、
棋譜に書き込むことも「汚れる」と忌避するきらいがある。

吹き溜まり


 囲碁のように日本へ渡来した文化は
行くところもなく吹き溜まり、変質してきている。
将棋も同様であり、漢字は儒教と共に日本にだけ残った。

銅鐸、前方後円の墓、大仏、などは突然馬鹿でかくなっている。
 地球上で、日本のような大陸から離れた位置にある諸国の中で、
永年諸文化が吹き溜まりになってきたのは
黄金の国ジパングが代表だろう。