(3)  奇貨置くべし

                                             高野圭介

 奇貨を置く
 奇貨を置くとは「珍しいものは買い込んでおくがよい。
時期がきて思わぬ大きな利益があるものである。

転じて、
他日、役に立つものなら、今その金を惜しむべきものでない。
更に転じて、将来待望の人間は匿ってでも大切にし
行く末に夢を持つべし
」というのである。

 ただ、奇しきものなればこそ奇貨というのであれば
この世に奇貨などそんなにあるものではない。

 盤上の奇貨
 さて、盤上で、自陣敵陣の全局の石がモザイクのように入り組んで碁形を作っている。
盤上の石に奇貨など果たしてあるのだろうか。



 一般に一着の価値は
「なべて10数目などとほぼ一定の価値を持っている」といわれている。
 ゼロ目に近いキカシ、ワタリなどからそれ自体マイナス価値の捨て石のように、
その石本来の価値から合目的的な価値に変質して使われているのが分かる。

自分なりの公式
 岡橋弘忠六段は
「盤上に置かれる一つの石、その力を測るには何を基準にすればいいのか。
その問題を突き詰めることに依って自分なりの一つの公式を導く。
その公式を駆使して碁を打つ」
と言う。



 このように一着の価値を信じて着手を求めるとき確かにどんな相手に対しても、
遅れず、慌てず、恐れず侮らず堂々と自分を主張できると思う。

 公式化は信念  
 この際、玉石混交の中の石を峻別する鋭い識別眼がどれほど養ってあるかだ。

 ここに石の価値観の公式化は信念であり、
普遍的な一着の価値を求めていて奇貨ではない。

 
「捨て石の駆使」

or

「形を崩しておく」


 陳嘉鋭七段は
「悪くないというような平均的な手だけでは勝てない。
決めどころがなければ」
と主張する。



 敵の石の姿を崩しておくがいい。
長丁場の碁にはいつ思わぬチャンスが訪れるかも知れない。
しっかり打っておけば自然に地が増えるものである。

急所の一撃さえ望めるというなら「捨て石の駆使」とか
「形を崩しておくこと」こそ奇貨というべきか。