(3)国際文化の囲碁マナー
マナーは今や国際的になってきて、独り各国のモノではなくなってきました。
マン・ツー・マンの対局のマナーは大きく分けて,六つのジャンルです。
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(A)
挨拶する
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マナーの基本は先ず挨拶でしょう。
対局の初めには「お願いします」
終わったら「ありがとうございました」といいましょう。
それは碁の始打ち始めから終わった後まで、
目の前にいる人への心遣いや。思いやり、
相手を敬う気持ちなどがあるからです。
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(B)
石を持つな
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石を持たないで
石を持つと、良いことは起きない。
石の音が、カチカチ、じゃらじゃらと聞こえる。落ち着かないで
、気ぜわしくなる。これを直すのがとても難しい。
すぐ打つな碁笥が泣いてるすぐ出る手 吉田 健
何でも、吉田さんの述懐では、
風鈴会の例会で石を持って考えるとピシャッとお叱りがくる。
頭の片隅にこびり付いているのだが、それがどうもならんのだそうだ。
対局中に石を持って考える癖は困ったものだ。
しかし、これがなかなか直らない。
では子どもにマナーの指導の方法は
「石を持つな!」と怒るのではなくて、
「決めてから石を持てば強そうに見えるぞ」と教えるのが良い。
いつも楽しい雰囲気が一貫して漂うていること。
かって、私は公開対局で、白石裕九段に三子敷いて打ったことがある。
席上、九段は秒の切れる直前に、ガチャと石を掴んで打たれる
神業に感嘆したものだ。プロに面前で相対して、
この凄さを体験できることは滅多にないチャンスであったろう。
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(C)
第一着
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さて、対局です。
第一着は「右上隅の小目から」打つのが礼儀とされてきた要ですが、
どこから打っても同じようですが,何故でしょう。
気持ちとしては、相手の近くて見やすい場所、なのでしょうか。
確とした理由は分かりませんが、そのようなしきたりとなっています。
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日本の囲碁界で
纏まった・・説
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昭和の後半頃は新聞碁の全盛期でした。その頃のプロの碁に,
時折,右上でなくて他の隅から打ち始まる碁が散見されました。
何百手もの総譜の中から第一手を探すのがたいへんだったのです。
日本棋院と新聞社から「右上から打つのに統一すれば」と申し入れがありました。
関西棋院でこの提案を受け容れ,決まったという経緯があります。
そのような話が伝わってきました。 高野記
その決まりを破って,自由奔放に第一手を打ったのが依田依基ですが、
ネットの碁では、全く自由と思って良いでしょう。
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(D)
もの静かに
A:打つ石音
は静かに
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日本では一般の音に対して比較的無頓着と言えるかも知れない。
音の気になるのは,扇子の開け閉めのパッパッと鳴らす音とか、
石を打つ時、そーっと置かないで、
バッチと大きな音を立てて石を打ち下ろす等です。
A:打つ石音は静かに
私も気をつけているつもりだが、普通に打っているのに打ち方に
力が入っていたようで、イタリアのジュースさんが私になじるには
「あなたは強いことは強いが、石音が高いのは、何か私(相手)に
威嚇の意志(番外の攻撃的な意志)があったのか?」と言われた。
これには驚いた。でも、彼がそう感じたのなればそうなのだろう。
そこへいくと、外人は石を持って考えても、
やたら高い音を立てて打ったりはしない。もの静かだ。
扇子のパチパチの音もとても気になるようで、
部屋への出入りでも、静かなドアの開閉は身に付いている
中国では「石を打つ」のは「下棋。
菅原道真公作・漢詩「囲碁」に曰く、
「手談幽静処下子声偏小・・・ 」つまりは「下子」と言う。
オモシロいことだが、中国ではそーっと、石を置く。
しかし、これでは気合いがは入らないから、
中国人は日本人のように「パチリと石音高く打ちたいものだ」と
言うのを私は聞いている。
只、碁石の形状からして、中国の碁石は石音高く打ちにくい。
私たちが意識しないで当然と思っていることが、
そうでないことがあるのに驚く。
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B:扇子の
開閉の音
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B:扇子の開閉の音
どういう訳か、日本では対局中,扇子片手にパチパチやる習慣がある。
寡聞にして外国・中国のことは知らない。
かって、坂田栄男九段が林海峯九段との対局で、林海峰の
頻繁な扇子の鳴る音が余りにも高いので耐えきれず、
抗議を申し込んだという話がある。
そも申し入れを聞いた林海峰は返事されました。
「それなら、坂田先生が煙草を止められたら如何でしょうか」と。
間に入って,師匠筋の藤田悟郎先生が林海峰に
やや小ぶりの扇子を届けられたと承っています。
昨今では扇子パチパチは殆ど無いようです。
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C:寡黙に限る
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C:要らぬことを口走っても危ないです。
形勢が思わしくないと思って、つい、口に出ました。
「負けたかな?」と。
途端,すーっと手が出ました。握手です。何も思わずつい、
同じように手を出しました。「サンキュー」と言われました。
これでお仕舞いです。彼は日本語が出来なくても,
「勝った、負けた」は知っています。
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(E)
対局姿勢・態度
(観戦態度も)
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姿勢がよいというのは碁を打つ時の態度と打ち碁の形が良いことの
二つに絡ませています。 三宅速
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A:対局中は落ち着いて
やたらに席を外し,会場内をうろうろ見て歩く。
又、席に座ったままでもキョロキョロしたり、隣の碁を見ていたり,
落ち着かない様子は相手に迷惑です。
B:ボヤキもほどほどに。
形勢の如何にも関わらず,よくボヤク人が居ます。
これも程度もんでしょう。
C:人の邪魔をしない。
外国では対局中の音に敏感です。
早く済んだ人がその場で反省会を始めました。
声が次第に大きくなってきました。こんなのもマナー違反です。
D:観戦者のマナーも多様です。
また観戦中は対局者の邪魔にならないように
静かに見る。
観戦者同士も話さない。
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(F)
投了の儀式
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投了か,粘って打つか それが問題だ
碁もスポーツなら、
投了という言葉そのものも忌避されるべきものだろうが、
でも、いよいよ見込みのない碁には「投了・resign」は最善です。
一局の碁には帰趨がおぼろに見えてくる場面がある。
そういうとき
勝負手に見られるように、局勢の悪いまま終盤を迎えるか、
はたまた玉砕に出るか、迷うのだが、二者択一で、判断は難しい。
その微妙な感覚の差が、実は重大な意味を持っています。
天才山部俊郎九段
天才山部俊郎九段が勝負に淡泊で、勘違いで手が残っていて、
なおチャンスがあるのを、投了してしまって、
今更後戻りが出来なくなって、じたんだを踏んだ、と言う話は有名です。
一般に日本勢は淡泊に投了を潔しとし。
外国人は粘って最後まで頑張るのを讃える。
それは国民性の所以と思っていていたが、
「野球は2 downから」と言うように,
最後まで試合を捨てないという鉄則に従う風潮が多くなってきました。
王立誠九段
王立誠が「投げるな!と、念ずる」というのを聞いたとき、
日本の武士道に「死に場を求める、
いさぎよさの問題点」が浮かび上がってきた。
勝負である中で、「投げるな!と、念ずる」とは何と凄いことよ。
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(G)
時間もルール
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昨年2017年名人教授杯重慶大会の席上,某氏との碁。
まだ200手も行かないのに
持ち時間が私は20分。某氏は2分しか残っていない。
しかし、盤面私は足りない。2分で後,打ち切れるものでは無い。
私は生きている石を大きく死ににいった。
但し,生死に全く関係の無いところに打つのはいけないが。
時間もルールである。
取り掛けもたいへんで、大石は簡単に死なない。
結局時間で勝ってしまったのだが、これも作戦の一つと思っています。
時計を使った対局では時計の押し忘れを注意しない。
観戦者が注意すればこれも助言。
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