『ぐろっけ』の俳句

品川鈴子師「銀嶺句会」で初めて俳句を学ぶ

ーーー『1993年度国際協力コース講義録』よりーーー

                      高野虚石

 
俳句部「銀嶺句会」

 私は1993年4月、
新設の神戸シルバーカレッジ第一期生として国際交流コースに入学した。
 第一期生だから何もない。
すべての活動は各自新しく部活を創ることから始まった。

自分では囲碁部を創立した。
1995年ねんりんピック島根大会で全国優勝したのも懐かしい思い出である。
また同時に、誘われるままに次々十一の部活動に入った。

 たまたま品川鈴子師の「神戸に於ける俳人の足跡」という講義があって、
講義の後に、
『鈴蘭』『莫』や師の新刊書『品川鈴子句集』の三冊に師のサインを戴いた。

 鈴子師は即、カレッジで俳句部「銀嶺句会」を立ち上げられたので、
呼応してすぐ入部した。
 師は意欲的な活動に取り組み、ご自宅を根拠に、俳誌『ぐろっけ』を創刊された。
師は「創刊号だけは大事に取っておくように」と言われたのが印象的だった。

 師の俳句に接したら、
師の俳句は長谷川町子の漫画と哲学書を一緒にした感じで、
俳句とはこんなにぎっしりと中身のある詰まった厚みのあるものと初めて知った。




鈴子師と私・虚石との会話

「何かの俳句の入門書に『俳句の勉強は季題二百。有名な俳句二百。
そして俳句独特の言い回しを覚えなければいけない』とあって、
これはたいへんだなと思っています。」

「俳句の約束事も大切だが、
何よりも感情の吐露を阻害してはいけません。
句が死んでしまう。」
「ウーン、流石、さすが」

「先生、私の句は下手さ加減で言えばどの程度ですか」
「そうね、中の上位かしら、おまけしてね。ほほ・・・」

「『籤引けば女難の相と初天神』の句、
票も入ったけど、あんなのばかりじゃあかんよ。」
 注:後日、川柳の会に出句したら、堂々と入選した。(苦笑)

「『おちんちん鬼大仰に春立ちぬ』の句、
『春立ちぬ鬼大仰におちんちん』としか直せませんね。
だって、「おちんちん」を「おおふぐり」と言えば「大仰の」に重なるし・・・。」

「先生の新しい俳誌『ぐろっけ』に出句するのに、自分で5句選んだけど、
グレードが届かず、迷惑をかけては・・・と思うので、
この30句の中から見て下さい。」

「たくさんの中から?今回はサービスよ。でもね。
『自選の苦しみ』というのがあって、
自分で悩むのが良いですよ。頑張って。」



朝日俳壇の金子兜太師


 1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が発生した。
そのとき朝日俳壇に投句した句を金子兜太師に取って頂いた。

「生きてるよ」地震三日目の寒電話   虚石



『ぐろっけ』 虚石出句

籤引けば女難の相と初天神           

立春や鬼のちんぽこ大仰な           

啓蟄や新人の来て浜の磯            

盤上に残る捨て石春うらら     

咲き満ちて川面にゆらぐ桜かな  

花水木白苞に雫光をり       

花吹雪檻のライオン眼を細め   

           土筆摘む友どちの指細かりき

           離宮道海に入りけり五月晴れ

         木洩れ日に雫きらりと紅椿

             失恋の娘に金雀枝の黄のまぶし

              露天風呂大風呂敷きのオリオン座

揺らぎいる羅(ウスモノ)の影護摩を焚く          

夏日入るTABERUNAてふ名のレストラン        

名水の汲み上ぐ朝萩百株                 

竹貰ひ牡丹いたわり立ちにけり   

馬籠なる雑踏峠かき氷        

鞠割れば美神のなせる栗の色   

手を濡らす酒を翳して後の月    

             半月の白く残りて磯焚き火

              腰深く下ろして気功の息白し

               雪舞ひてうずくまりたる離れ鳩

              凍海に燃ゆる一文字沖つ船

                はらわたに第九響きて年暮るる