客家(ハッカ)の生成

                                                         高野圭介



戦火を逃れて 
中国の歴史を遡ると、幾たびか政変があった。

客家のルーツを辿ると、
その都度、戦火を逃れ、生命財産を護って、漢民族の中原から南下した。
いきおい山中に隠れ住み、大家族制を遵守し、自給自足の生活を送った。


元々は中国東北部の王族の末裔であることが多い。
漢民族の中でも中原発祥の中華文化を守ってきた正統な漢民族である。

主な居住地域は、広東省・福建省・江西省・湖南省・四川省などの山間部である。

 大きく5回に
移民の機会は、大きく5回に分けられる。

1.古代中国・秦の時代辺りから江西地帯への入植。

2.唐末、北宋時代に福建省の奥地に南下。

3.元から南宋時代に広東省に拡がった。

4.清の時代の領土拡大に伴い、西は四川省、東は台湾に展開した。

5.最後の段階として、海南島まで南下した。

古代の漢族語


移住先では原住民から見て“よそ者”であるため、
客家と呼ばれ、原住民との軋轢も多かった。

ほとんどの家に古代からの族譜があり、祖先信仰が強く、風習も頑なに守ってきた。

客家の人々は、周辺に住む他の集団とは異なり、山間部に好んで居住することが多く、
独特の言語・文化を持っている。言語は古代の漢族語を今に伝えているといわれる。