返答せん

                       2022年3月15日

                       高野圭介 記


  朝起きると咽が痛い。扁桃腺だ。

 幼い頃、私は脆弱体質でよく風邪を惹いた。
風邪の症状は微熱と扁桃腺で、
下痢みぎだったので夏でも腹巻きしていた。

 もう八十年も前のこと。
扁桃腺に罹ると「返答せん」と言うて黙り込んでいた。

医者の風邪薬と綿棒で茶色の苦い薬を付けて貰い、
治っていく。その程度で、さほど怖いものでもなかった。



 久しぶりに懐かしい扁桃腺である。
 14日9時から「さくら卓球会」があった。
春めいてから今年初の卓球である。
いそいそと出掛け、ことも無く、
帰ってから午後は昼寝した。




   夕刻5時、掛かりつけの長谷川病院へ行った。
「先生、扁桃腺です。咽が痛い」
「いつから?」
「今朝からです」
「鼻も出ますか」
「出ます」
「風邪か。花粉症か、コロナか・・・でしょう」
「えっ、コロナ???」
「チョット検査します」



 別室に行った。寒くて薄暗くて穢い裏玄関のところ。
その何もない狭いところに椅子が一つ。

鼻の穴から綿棒で鼻汁を取って検査が始まった。
もう、レッキとしたコロナ患者である。



  



それからがたいへん。独り、椅子に掛けている。
誰も来ない。

最初に頭を過ぎったのは「私はコロナ・・・death by hanging」。
死に直面したと感じたのは初めてのこと。

 禁酒20年禁煙40年・18時就寝3時起床という早寝早起きで、
人との会食なし、という健康管理が人一倍の私に、
どこで何が間違ったのだろう?

「コロナで、先ず、咽がやられる」とは只今聞いたばかりで、
今まで殆ど何も聞いたことがなかった。

コロナの話も聞いたのは友人の金山さんが
「孫がコロナに掛かって一週間熱が出ました。
もう元気で遊び回っています」。
それだけ。




「コロナ」とは「コロナウイルス」という名称は、
電子顕微鏡で観察すると王冠(ギリシア語で
「コロナ」)のような形をしていることから名づけられました。

 コロナを広辞苑でひくと、
太陽大気の外層。皆既日食の際、
太陽の縁から四方にぼやけて見える真珠色の淡光。
光冠(コウカン)とあります。

コロナ禍、オミクロンと
悪名の高いウィルスになぞられましたが
本来のイメージは“静かな輝き”です。





いよいよ「静かな輝き」か。今年すでに数えで92歳。
「余命五年」を真剣に考え始めたところだ。

後せいぜい5年の寿命が、
静養できる時間を神が与えてくれた。
良いチャンスだ。何をしようか・・・・

 大相撲で、
三賞とは殊勲賞・敢闘賞・技能賞の三つの総称ですが、
技能賞に輝いたある力士の言葉に
「一つの技を磨いて一定の域を極め、成果がありました」と。




 私はこの言葉が妙に脳裏に刻まれていて、
「じゃあ、囲碁で何をするか?よし!三々だ」

・・・そう言えば・・・

「三々は一手で絶対に近い活力を持っている。
AIによって、実利先行が到来したのが2016年。
今ではプロもダイレクト三々に始まって、
三々の周辺こそ技を極める価値のあるものだ」。






長谷川医師の説明となった。

「高野さんは熱もないし、
コロナは検査の結果も全然問題は無さそうです。
単なる風邪でしょう。薬を出します。
只、コロナには潜伏期間があって、
明日もう一日静養して下さい」。

 このうら寒い部屋で一時間半。
あっという間に過ぎていた。
寒くもなく、平生の心境だった。

 夜、遅くなった。21時にいつもの夜の儀式の後床に就き、
ぐっすり寝むれた。明朝6時、不思議と咽の痛みも取れていた。

 ところが、手許にある電子体温計
「オムロン・けんあんくん」の電池切れで、
体温が計れない。嗚呼。

 翌日・15日昼頃、元気な様子を電話で伝えた。

「大事を取って、もう二・三日、様子見しましょう。」と、先生。

 
    棚霞無碍の心を映しだし          虚石

涅槃図や囲碁の曼荼羅透かし見て