発足以前 epilogue


家田会以前

家田会の成り立ち


                                               高野圭介

 白石・家田会
家田会以前の様子です。
以前から、私:家田は白石裕九段と合同で、
他流試合の碁会を開いていました。
名称も「白石・家田会」と言いました。
当時作った碁罫紙が今なお、私の手元にあります。



白石九段は「大指導碁会」を目指し、
私・家田は「チャリティ碁会」を行く。
そこで、別の道を歩むことになった次第です。

 創立秘話
 家田会は
1990年(平成2年)に創立されました。
(奇しくも、碁吉会と同年の歴史があり、双子の会ともいうべき)


当時、家田隆二先生が親交厚かった衣川徳好さん
(当時、清水建設総務部課長)の発案で、
創立の気運が動いてきました。
(注:今回、高野が対戦した相手で、なかなかの腕前。)

八馬 理(タダス)さんは特大のカップを寄贈されただけでなく、
物心共にひとかたならぬ肝煎りで、華々しく鳴り物入りで発足しました。


女子プロの応援


第1回大会では、井上綾子プロ二段と、佐々木 文アマ6段
両弟子が駆けつけてくれました。

私の弟子の中には
新井菜穂子が小学生から中学生まで中央で存在感がありました。
しかし今では、九州のアマ界で頑張っています。

橋 本 賞   

 もう一つは、優勝者に橋本賞を進呈していることです。

この橋本賞は、八馬理さんの発案で、また、八馬さんのご尽力で
関西棋院総帥・橋本宇太郎と闘将・橋本昌二九段の両師のご理解

ご賛同を快く取り付けて戴いて、陽の目を見た橋本賞なのです。

    


お二人とも故人となられた今となっては、
宇太郎先生の賞としては唯一のものであり、
昌二九段は「光栄だ」と手放しでした。
ご両人の共通の賞であることもまさに希有のものでもあります。

面白いことに、
この24年間、重ねて2回以上も橋本賞を取った人は
どういうわけか、まだ誰も居ません。


それだけ、コミ0.5目のハンディは大きいのでしょうか。
あるいは
三連勝者が数人・十数人と居るため、抽選となります。
そのせいもあるでしょう。




 チャリティ碁会


家田先生のコメント


 家田会には他に類を見ない特徴が二つある。

一つは、チャリティ碁会で、会員一人が\1000.を大阪福祉基金会に
総額\120,000.の寄贈を続けている。

今年は参加者95名であったので、計算の合わないところは
家田先生負担であることは言うまでも無い。




横山ノック知事の頃から、
大坂府福祉基金に、少しずつ寄付しておりました。
浅江季孝氏の助言で、
チャリティ碁会の名称を使うことになりました。

ここに、並みの碁会から、チャリティ碁会へ変身しました。
寄付金を毎年府庁へ届けるのも気持ちを豊かにしてくれました。

寄付金のここの報告・公表はありませんが、
各市の総額とか、車椅子何台寄贈とかの報告書は来ます。

橋下 徹知事時代は大坂府公館での数十名の寄付者に対し、
感謝状贈呈式に写真サービス付きが加わりました。