第24回家田会レポート

2012年4月30日 於関西棋院・囲碁サロン

家田会の紹介(1)


                                               高野圭介

 白石・家田会
家田会以前の様子です。

以前から、白石裕九段と合同で、他流試合の碁会を開いていました。
名称も「白石・家田会」と言いました。

当時作った碁罫紙が今なお、私の手元にあります。

白石九段は「大指導碁会」を目指し、
私・家田は「チャリティ碁会」を行く。

そこで、別の道を歩むことになった次第です。



 創立秘話  
 家田会は
1990年(平成2年)に創立されました。
(奇しくも、碁吉会と同年の歴史があり、双子の会ともいうべき)

当時、家田隆二先生が親交厚かった衣川徳好さん
(当時、清水建設総務部課長)の発案で、創立の気運が動いてきました。
(注:今回、高野が対戦した相手で、なかなかの腕前。)

八馬 理(タダス)さんは特大のカップを寄贈されただけでなく、
物心共にひとかたならぬ肝煎りで、華々しく鳴り物入りで発足しました。



女子プロの応援




第1回大会では、井上綾子プロ二段と、佐々木 文アマ6段の両弟子が
駆けつけてくれました。

私の弟子の中には
新井菜穂子が小学生から中学生まで中央で頑張ってくれました。
今では九州で、アマ界でが案張っています。




第4回大会には、
芮 廼偉(ゼイノイ)九段が東京から友情出演して
華を添えてくれました。4局打ってくれました。



 チャリティ碁会


家田先生のコメント


 家田会には他に類を見ない特徴が二つある。

一つは、チャリティ碁会で、会員一人が\1000.を大阪福祉基金会
総額\120,000.の寄贈を続けている。

今年は参加者95名であったので、計算の合わないところは
家田先生負担であることは言うまでも無い。




横山ノック知事の頃から、
大坂府福祉基金に、少しずつ寄付しておりました。
浅江季孝氏の助言で、チャリティ碁会の名称を使うことになりました。

ここに、並みの碁会から、チャリティ碁会へ変身しました。
寄付金を毎年府庁へ届けるのも気持ちを豊かにしてくれました。

寄付金のここの報告・公表はありませんが、各市の総額とか、
車椅子何台寄贈とかの報告書は来ます。

橋下 徹知事時代は大坂府公館での数十名の寄付者に対し、
感謝状贈呈式に写真サービス付きが加わりました。」

橋 本 賞
 もう一つは、優勝者に橋本賞を進呈していることです。

この橋本賞は、八馬理さんの発案で、また、八馬さんのご尽力で
関西棋院総帥・橋本宇太郎と闘将・橋本昌二九段の両師のご理解

ご賛同を快く取り付けて戴いて、陽の目を見た橋本賞なのです。

    


お二人とも故人となられた今となっては、
宇太郎先生の賞としては唯一のものであり、
昌二九段は「光栄だ」と手放しであった
ご両人の共通の賞であることもまさに希有のものでもあります。

面白いことに、
この24年間、重ねて2回以上も橋本賞を取った人は
どういうわけか、まだ誰も居ません。


それだけ、コミ0.5目のハンディは大きいのでしょうか。
あるいは
三連勝者が数人・十数人と居るため、抽選となります。
そのせいもあるでしょう。