あ と が き

                                            2013年2月14日

                                           高野圭介


多田県名人
 三子まで打ち込まれて、あの憎っくき多田昭円の坊主めの石を取りたい、
碁仇に勝ちたいと励んで、一冬。年明けて春の神戸新聞名人戦に、
お陰で幸運にも兵庫県西播地区での A級戦で優勝してしまった。

彼はその後見事に県名人になった。その懐かしい碁友はどうしたことか、
先に逝ってしまった。口惜しい。

小山靖雄
 いっそう、強い碁を打ちたい。良い碁を打ちたいと念願し、模索していた頃、
小山靖男九段に「囲碁の上達には『囲碁とはどんなものか』を知ることだ」と、
奥の手をご披露いただいた。

 橋本宇太郎
橋本宇太郎先生に私が愛用の六寸盤三面に同じ『玄玄』の銘を墨書していただいた。

『玄玄』は宇宙のこと・天・奥深いこと・玄妙とまでは解ったが
、その真意は分からない。こんな凄い囲碁がいつ、どこで、
誰に、どのように創られたかという設問が支配するようになってくる。

橋本昌二
 初心の頃怖かったのは「三々の打ち込み」だった。
「四スミ取られて碁を打つな」の格言が即理解できた。
ところが、橋本昌二九段は「四スミ取っては碁に勝てない」と述懐される。
碁は分かり難い筈だ。この二律背反の世界なのである。

自分の発露
理解の難しい幾つかのポイントを挙げると、

「石を捕るのと地に辛いことの二つの命題が同時進行。」
「劫という同形反復の禁止の存在が、やたらに碁を複雑に。」
「逆は必ずしも真ならず。逆も真なり。この二真理が同時支配。」
「実戦では、棋理に忠実もだが、状況判断とかメンタルな面。」
「持ち時間の制限は判断の反射神経と時間配分も棋力の一つ。」

 
今は盤に向かえば、何にも囚われず、好きに打つ!
自分の発露というような碁を打っている積もりだ。


囲碁曼陀羅
 私は折りに触れ、囲碁の技術のみならず囲碁の周辺など碁のことに関心を
持つようになり、やがて本文記載の『囲碁曼陀羅』の図が出来上がった。

この図は前に上梓した『宍粟の碁』(1983)に発表したものである。
その後、改良を試みたが、一度組んだ櫓はなかなか崩れない。
囲碁自体の解析も思うように進まない。

「囲碁の理解はその人の棋力に相応してしか出来ない」と言う
私の信念が限界を低く設定してしまったからだ。

囲碁に魅入られ
 ともあれ、囲碁は難解であり、不可解である。
囲碁に「お前らに解ってたまるか」と、突き放されているように思える。
と同時に、
私が囲碁を愛好し、囲碁なしに生きられない「囲碁の虜」になったと思うとき、
逆に「囲碁に魅入られた自分」ではないかとさえ思う。

進化する囲碁 
 地球上のあらゆる物が何万、何千年もの間永劫に変化し続けているのだが、
戦術・戦略も、時の権威を中心に流行を創りながら日進月歩とは思っていたが、
こゝに来て囲碁自体が機能も規範も変化していて、同様に、
今日なお進化つゝあるとは、思いもかけないことだった。


天玄地核  
 いよいよ囲碁が活きずく化け物に見えてきた。
囲碁は中国の「夏草冬虫」というヌエ的茶があるが、
囲碁こそ「天玄地核」とでも言える玄玄の世界に連綿と生き続けている
「ヌエ的存在」であることにさえ想定するに至っている。

 ライフワ-ク
 碁歴七十年になんなんとする私が碁の機能に関する思索に取り組んで久しい。
ますます、そこかしこに問題点がうつぼつと噴出している。

 でも一旦は筆を措こうと思う。限りない挑戦であるからだ。
そういう意味では本文は問題の提起にとどまっている。
後はライフワ-クとしたい。