詰碁作家 覚え書き

                                         高野圭介


 院生の勉強は実戦の手直しと詰碁の自習である。
中でも、詰碁はお師匠さんから一つずつ宿題を出されて研修に研修を重ねたとか。

 そこへ行くと、アマは詰碁は面白くないから、常に蚊帳の外である。
詰碁の取っ付きが悪いので、つい眠気が挿してくる。
それは、詰碁が難しいからが第一の原因と思う。確かに義務でなければ疎かになってくる。


 いつの間にか私の本棚には30冊もの詰碁の本が殆ど手付かずで並んでいる。
宇太郎先生の「風と刻上・中・下」中山典之先生の「シチョウの世界」はよく広げている。
不思議なことに両者とも先生のサイン入りで、何か愛着があるのだろう。


 詰碁のバイブルは中国の「玄玄碁経」と「発陽論」であろう。日本では林元美著「碁経衆妙」といえる。
 下って、詰碁の大家は東の前田陳爾、西の橋本宇太郎と言われた時代があった。

前田陳爾が詰碁創作の大家として知られ、「詰碁の神様」と称されたが、
前田先生は私・高野の近隣の播磨新宮町井ノ原で出生し、成人している。
幼少から碁の天才の誉れ高かったと漏れ聞いている。

また、宇太郎先生はとても親しくご指導に預かり、私のエクセーヌの碁盤の生まれ親でもある。



 このたび、井原おもしろ詰碁監修にあたって、ふと感じたことは、
初め、一握りの石をバラして全体の形を作るとき、
奇しくも井原詰碁発想の形と、宇太郎先生独特の詰碁の形が、酷似していることに気が付いた。
他にはこの姿は余り見られないのである。

ただ中身は詰碁の手筋とか躍動の姿は雲泥の差があるのは言うまでも無いが。


岩田昇二著「岩田詰碁集」1977年刊がある。かつて私が「すざら碁仙」を編集刊行した際、
三木正先生が能動的にご紹介なさり、「スザラゴセンの文字入り詰碁」を記念として記載して頂いた。


当時から岩田さんはアマ詰碁作家として名を馳せておられ、アマの詰碁としてはこの本だけであった。
 1977年刊からもう40年になる。すでに日本のどこかで、アマの詰碁の本があるかも知れないが、
いろんな制約に直面し、普通では上梓は相当な難事ではないか。今、実感としてそう感じている。


縁の深い本に「石榑郁郎詰碁傑作集」1996年10月31日第一版第一刷発行がある。
中山典之先生のご指示に従い、私は30部購入し、碁吉会の皆さまにご紹介したものである。


 ところがなかなかの難物で、手に負えなかったので、お蔵入りしていた。
今回おもしろ詰碁200問の監修に没頭して、2000問の詰碁ぐらいの学習をしたように思う。
そこで紐解いたところ、正解までは難しいが、とても面白く取り組めたのに驚いた。
何事にも感謝深謝である。