寄り添ってきた詰碁
                                                  高野圭介

         

岩田昇二作「ビール箱の詰碁」

 
アマの詰碁は書籍としては殆ど見たことは無い。
プロ棋士の詰碁は私の手元にあるだけでも三十数冊。

 アマのは1977年刊行の岩田昇二著「岩田詰碁集」p.174一冊あるのみである。
寡聞にして、その後のアマの手になる詰碁集にはお眼に掛かってない。


勇を鼓して「おもしろ詰碁集」に取り組んだ。
アマの詰碁はなぜ難しいか?が痛いほど解った。
 素晴らしくグレードの高いと思われる作品ほど、失題が多くなる。アヤがいっぱいで、
第一着手がどうしても複数になり易い。活きることへの執念で、次々妙手が生まれてくる。
これを打破せねばならない。

 
 易しいと思っていた詰碁が、思わぬ手強いもので、アカン!と匙を投げる寸前に
追い込まれたり、初級から上級に二階級特進が生じたりもした。その逆も然り。

 出来た!と思ってから、失題で没にしたのはどちらかというと「惜しい」ものが多かった。
プロ作家なら、この没の作品が良い詰碁に変身したかも知れないと駄々をこねながら没にし、
いきおい、グレードの高さがどんどん押し下げられていった。

 
 プロのは難解のものが多いのでアマチュアは(作らないで)鑑賞に止めるのが
良いであろうという説がある。解らぬでも無いが、
取り組んだ限り完成に向かって缶詰の取り組みとなった。試験勉強の比では無い。
相棒の川口さんと毎日のように首を合わせて突っ込んだ。

 
 丸三ヶ月経って、
前に難解と手も付けられなかった「石榑郁郎詰碁傑作集」を紐解いてみた。

何と、面白いのである。正解ともいかなくとも、取り付くしまが身近に感じられた。
100題の取り組みが1000題も、もっとのの取り組みとなって身に付いていた。
ともかく日に日に詰碁が私に恋しく寄り添ってきているのである。