壱岐対馬と北欧

私には倭人・倭寇という人達が北欧のバイキングと重なって見えてきた。

                                            高野圭介




国防の最先端
対馬について言えば、現在の宅地が1%。車で南北に走っても、
新緑・深緑の山又山で平野らしいところは遂に見当たらなかった。

 日本の最西端にあって、朝鮮・韓国との交流もさることながら、
蒙古来襲を初め、白江村の戦いなど、最前線の国防という
防人の哀しくも尊い生き様をつぶさに体感した。

 


 


対馬はノールウェー
対馬は倭人の居住地であったことが「魏志」倭人伝に出ている。

「始めて一海を渡る千余里、対馬国に至る。居るところ絶島。
方四百余里ばかり、土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿の径のごとし。
千余戸あり。良田無く、海物を食らって自活し、船に乗りて南北に市糴す。」

 この辺り、バイキングの元祖としてのノールウェーを彷彿したのだった。




壱岐はオランダ
 オランダはイギリスとドイツの大国に挟まれて、
言葉も英独とゴッチャ混ぜの言葉。進取の気性に富んだ民族である。

 ハムレットとオフェリアのモデルとなった海に囲まれたクロンボー城は
壱岐に相応しいかんじがする。



 はらぼけ(6人)地蔵はデンマークの人形姫の像を彷彿させる。

 ともあれ、壱岐は平地も多く、経済力も対馬とは違う。