宗 武志を偲んで、墓参 高野圭介 |
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宗家37代・宗 武志 |
宗 武志(ソウ タケユキ)は対馬藩主・宗伯爵家の当主である。 1923年10月に跡を継ぎ、宗家37代についた。 学習院高等科(旧制)在学中、北原白秋に入門する。 高等科を経て、1928年東京帝国大学文学部英文科に入学。 英会話作文・ラテン語・ギリシャ語・イタリア語に堪能であった。 日韓併合の政略結婚として、高宗と側室・梁氏との間に生まれた 李氏王朝最後の皇女・徳恵の縁組がなされた。 |
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土佐保子の宗武志論 |
私の持つ宗武志のイメージといえば、いつもおだやかな微笑みを浮かべておられました。
絵画、書道、詩、文学、英文学、そして道徳教育の講義にもでかけておられました。
本職は大学教授です。 |
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宗家の墓所で、武志の墓を訪ねた。 古色蒼然たる墓所の中で、ただ一つ、現代風の墓碑だった。 宗武志のお墓は千葉県船橋市にあるが、本人の希望により万松院にも分骨して墓碑が建てられた。 (注釈:土佐保子より) |
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対馬は対韓国との 友好親善外交の 最前線であった。 そのためにも 宗武志の 日韓併合の 政略結婚が あったはずである。 昨今、 寺の仏像の 盗難問題から 対馬と韓国との 交流の歴史に 哀しいかな、暗雲が 垂れ込めている 恒例の対馬イベント 「対馬アリラン祭り」の 延期もやむを得ない 状況下にある。 |
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