井山裕太八段の十年 一フアンとして 第2局は比叡山延暦寺会館で見事な勝利!万歳!万歳! 竹之内正子 |
||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名人戦 第2局の 前夜祭 |
井山裕太八段が名人戦の挑戦者に決まってすぐに、 私は日本棋院関西総本部の松田さんに 「名人戦の前夜祭に行きたいので宜敷く」と電話を掛けていました。 松田さんは「まだ何も決まってませんよ。」と笑っていました。
待ちに待った日がやって来るのです。
もう嬉しくて、采美会(うねび会)(奈良県アマ女流囲碁の会)の人達と 「よかったね」と喜び合いました。 |
|||||||
しっかりと握手 |
第1局は青森で、第2局は比叡山延暦寺会館で行われることになりました。 私は采美会員5名と参加いたしました。
青森での第1局目に勝利し、 2局目に臨む井山裕太八段は落ち着いて、少し大人びて見えました。 明日の決意表明には、知り合いの人が多数来て下さって嬉しいということと、 頑張りますという挨拶がありました。 壇上から下りてきた井山裕太八段としっかりと握手をしました。
|
|||||||
はい。 頑張ります |
会場の熱気のせいか掌は少し汗ばんでいました。 「第1局目はよかったですね。次も頑張ってね」と言うと、 「はい。頑張ります」と頼もしい言葉が返ってきました。 井山裕太八段は大変な人気で写真撮影などに、
あちこちから声がかかり、引っぱりだこになっていました。 |
|||||||
石井邦生九段 |
阿含桐山杯に優勝した時から松田さんが、 「井山さんはもうすぐタイトル戦にでてきますよ」と おっしゃっていたのが現実になって、 ついにその日がやってきたのです。 感無量でした。 石井邦生九段がインターネット対局の決勝戦 「高尾紳路VS井山裕太」の大盤解説会で、 今度の名人戦の挑戦者は山田規三生か井山裕太ですとおっしゃって 会場を沸かされていたのも思い出しました。 |
|||||||
碁きち会 因島大会 |
平成十年四月 碁きち会因島大会に采美会は十五名で参加しました。 その会に井山鉄文氏が孫の裕太少年(当時小学三年生)も
連れて参加されていました。 その前年小学二年生で少年少女の全国大会で優勝した裕太少年は みんなの人気者で、「裕太君、裕太君」と可愛がられていました。
自由対局では、 「裕太君に打ってもらった」とニコニコ顔の采美会の人もいました。 |
|||||||
村上文祥 VS 井山裕太 |
その因島大会で、 因島出身の村上文祥氏が裕太少年に胸を貸すという公開対局が開かれ、 皆 かたずをのんで見守りました。 3子局でしたが 見事裕太少年の中押し勝ちに終わりました。 その時の状況を浜辺 荘さんの書かれた
「村上文祥VS井山裕太 3子局」の名文が記憶に残っています。 週刊碁1998年5月4日号に 碁きち会因島行に高野圭介会長の文と裕太少年の棋譜がのっています。 いい時に行き合わせた。これも何かの縁ですね。 |
|||||||
|
||||||||
大安寺 の 碁会所 |
秀策の記念碑を訪ねたり、村上水軍跡を訪ねたり楽しい旅でした。 帰りの新幹線のなかで井山鉄分氏が「どこかいい碁会所は有りませんか」と
尋ねられたので、「私の通っている奈良の大安寺の碁会所は如何ですか。
碁席の榊原先生は強いしそれに県下の強豪が集っています。 今村俊也九段やその他プロ棋士が何人も育っていますよ。」と 紹介いたしました。 それから間もなく 井山鉄文氏は
裕太少年を連れて大安寺の碁会所へお見えになりました。 |
|||||||
エールを送って |
裕太少年は県代表クラスにもう互先で打ち、勝ったり負けたりしていました。 榊原先生には先で打っていましたが、先生は負けなかったそうです。
何度かお見えになっていましたが、鉄文氏が病気になられたので、
その後は来られませんでした。 裕太君は お行儀がよくて、性格がよくて可愛かったなあ、
と碁会所の人達は強くなっていく裕太君に ずうっとエールを送っています。 采美会の人達も皆
裕太君強くなったわねえ と話題にのぼります。
「幽玄の間」が出来るまではパンダネットで打っていて、
ハンドルネームを教えてと聞いて 井山裕太さんの打ち碁を見ていました。 |
|||||||
奈良県 囲碁協会 新人王獲得 |
昨年九月奈良県囲碁協会は創立30周年を迎えました。 奈良公会堂で祝賀会が催されることになりました。
その時に井山裕太七段vs瀬戸大樹六段の公開対局が行われました。 解説は今村俊也九段、聞き手は井沢秋乃四段と荒木真子三段でした。
一年以上前に依頼しましたら、 井山さんはすぐ行かせてもらいますと 快く引き受けて下さいました。 奈良の人達が楽しみにしていますからねと 日本棋院関西総本部がアネックスビに移転した 一周年記念の時にも念を押したりしていました。 この一年の間に井山さんはとても忙しくなって、 祝賀会の翌日には東京で新人王戦の 決勝三番勝負第二局を打たなければならなくなりました。 公開対局には出ますが、すぐに東京へ向かわなくてはならなくなりました。
よろしくと連絡が入りました。
こんな大事な対局の前なのにきちんと約束を守って来て下さいました。 瀬戸大樹六段との公開対局には大勢の人が見守る中で
井山裕太七段の勝利に終わりました。 東京へ出発する井山さんを公会堂の入り口まで見送って、
「頑張ってきてね」と激励しました。 翌日見事に新人王戦を勝ち、新人王になりました。 私は大安寺の碁会所で榊原先生や
他の人とネットで見ていて万歳をしました。 |
|||||||
近鉄囲碁まつり |
因島から十年、フアンの一人として、 井山少年の成長を見守ってきてとても幸せです。 大阪での「碁ネットの集い」で石井邦生九段から中国遠征に 井山少年を連れて行かれた時の話や、 近鉄囲碁まつりで、棋士を囲む会で 事あるごとに強い 棋士の胸を借りて成長していく姿をずっと見てきました。
近鉄囲碁まつりの公開対局では、
昨年は結城聡九段に、今年は山下敬吾棋聖に勝ちました。 強くなったなあ! とても嬉しいです。 |
|||||||
鉄文様 と おばあ様 |
延暦寺会館での前夜祭では初めて おばあ様にお会いしました。 上品な美しい方で、お手紙でしかお話をしていなかったので、
とても嬉しゅうございました。 手紙の末尾にはいつも裕太のこと よろしくお願いします。と書いて有りました。 鉄文様は病気のため出席出来なくて残念でした。
この前夜祭の席にいらっしゃったらどんなに喜ばれたことでしょう。
私もお目にかかりたかったです。
|
|||||||
待ち遠しい 祝賀会 |
井山裕太八段が名人になったら、勿論 祝賀会に出かけます。 その時は、碁きち会の皆様にお会い出来るのを楽しみにしています。
因島大会でのテーブルの碁盤の端に 手の届かなかった裕太少年を思い出しながら・・・ |