井山少年と因島

                    浜辺 荘




名人戦第4 テレビ放映




対局開始




井山投了!検討に入る




勝負になったと思ったが・・・




中央の黒地の中に、手が生じた。


碁吉会
今からちょうど10年ほど前、
碁吉会が東西の精鋭を引き連れて
広島県因島に乗り込んだことがあった。


秀策の逸話


因島と言えば知る人ぞ知る、
本因坊秀策の生誕地であり
愛用の碁盤も記念館に展示されていた。

秀策の少年時代、あまりに碁に夢中になるので
押入れに閉じ込めたところ、
中にあった碁盤で黙々と並べていた、
と言う有名な逸話がある。

碁ランティア


この島の囲碁熱は尋常ではなく、
例えば島にあるどの旅館であろうが民宿であろうが、
泊り客が宿の主人にちょうど良い
碁ランティア
(囲碁ボランティア)を希望すれば、
級位者からそれこそアマトップクラスまで
用意してくれるのである。

村上文祥氏
碁吉会一行が、因島のホテルに到着すると、
オールドファンには懐かしい
故村上文祥氏が出迎えに来てくれていた。

祖父・鐵文氏
当時井山少年は9才であったが、
祖父の鐵文氏に連れられて
大阪から因島での大会に参加しており、
確か7段格であったと思う。



そしてこの祖父こそ
少年に囲碁の手ほどきをした人であり、
碁吉会の発行した書物「醍醐味」にも
その辺りの経緯を書いておられる。


プロを目指す
小学生名人2連覇を果たした少年は、
碁吉会恒例の夜の宴会での自己紹介の場で、
「プロを目指す」と決意していた。



これは彼の才能は周囲を
充分納得させるものであったと思う。


小さい巨人
大会2日目のメインイベント。

村上文祥氏との記念対局(3子局)が催されたが、
大柄な村上氏に相対する少年は、
ホテルが用意した座布団を重ねても、
盤の向こう側に手が届くかどうか危うい程の
背丈だったのである。


石を置く役割
会場には解説用の大盤が用意され、
私は2人の碁を真下に見ながら、
大盤に石を置いていく役割を頂いた。



村上氏は序盤から奇手、鬼手を放って
若干9才の井山少年に襲いかかるが、
少年は見事に受けきって局面は進む。

その度に会場からは「オー」「ヘエー」と
感嘆ともため息とも取れる歓声が上がった。

潰しにかかる
私は村上氏が本気で少年を潰しにかかっているな、
と感じ2人の真剣勝負を目の当りにして
鳥肌が立ったことを今でも思い出す。

ありません
あらかた戦いは済んで大寄せに入ろうとする時、
村上氏は盤全体に目をやって、
あげハマを23つ、つまんで盤上に置き、
「ありません」と頭を下げた。

万雷の拍手
勝負の鬼に徹した村上氏はこの時、
満面の笑顔で少年の健闘を称えたのである。
1手目から終局まで一度も解説する事無く、
それでいて、物音一つせき払いもはばかれる
会場の緊張した雰囲気は、

私の唯一の解説
「井山7段の中押勝がちとなりました」の一言で
一気に和らぎ、会場はいっぱいに詰めかけた
碁きちの割れんばかりの拍手に包まれたのである。


井山少年に
2タテを喰う


私は少年に刺激されて、
負けない碁を心がけていた碁に対する姿勢を、
打ちたいところに打つように改めたが、
一夜付けでは成績は芳しくなく

この日、
井山少年に2タテを喰らわされてしまった。
しかし、打ち終わった後大変爽快でもあった。



少年
置き碁の
3面打ちを
こなす



少年の才能を感じた出来事は他にもある。

夕食後私が置き碁の3面打ちをしていると、
すぐそばで少年がじっと盤面を
注視しているのに気付いた。

私が「代わりに打ってもらえないかな」
と持ちかけると、こっくり頷いて
立ったままあっちこっちと盤を往復して
打ちはじめたのには驚いた。




経験のある方は分ると思うが、
9子の置碁が3面ともなると、
とんでもないところに石が飛んでくるので、
時々相手に「どこにお打ちになりましたか」と
尋ねなければならないのであるが、
少年は黒が置いた石を
一目で判別し迷うことが無い。


とうとう3局とも終局まで
綺麗にならべて作り終わった。

並外れた集中力と記憶力は
将来を予感させるに充分であった。



アマチュアの
棋戦で打つ


因島での対局の翌年、
少年が10才の時アマチュアの棋戦で
顔を合わせる事があった。

私は
この機会を逃しては一生勝つことは
覚束ないであろうと覚悟を決めて
挑んだのであるが・・・、

チャレンジャー精神が功を奏して、
何とか勝利を収めることが出来た。


ほとんど
ノータイム


勝つには勝ったが私は
ヘトヘトに疲れてしまった。

何せ私は1時間の持ち時間を使いきり、
秒を読まれていたのに対して、
少年の所要時間はたったの10分であり
ほとんどノータイムで打ち進めていたのである。


完璧に
負かされた

そしてこの翌年
もう一度打つチャンスが訪れたが、
今度は完璧に負かされ、
もう私の手の届くところにいないことを
思い知らされるのである。





井山少年アマ時代の打ち碁


1998-07-05
久代俊明 vs 2子 井山裕太

不詳 碁ネット記念対局
1998-08-25
白 浜辺荘 vs 先番 井山裕太
           黒5.5目コミ出し

白14.5目勝ち 碁ネット本場所
1999-04-19
 井山裕太 vs 先番 浜辺荘
            黒5.5目コミ出し

黒105目勝ち 碁ネット本場所
1999-12-xx
白 井山裕太 vs 先番 浜辺 荘

不詳 不詳




棋譜の自戦解説

 井山裕太 vs 先番 浜辺荘
            黒5.5目コミ出し


                                               浜辺 荘

スピードと
戦い

1998
9年頃の井山少年は、
まだ経験不足による弱点があった。




部分的な読みでは及ばないが、
全局的なスピードと
戦いに持ち込むことによって
勝機を見出す作戦であった。

井山少年

全局的な
スピード作戦


 序盤黒11の三3に、
白12とかけたのは気合いではあるが、
ここは右辺黒5の下(16の十一)にツケて
変化していく所だろう。

黒45とボウシして黒47とハサみ、
黒55とカカる等、
全局的なスピード作戦は成功している。


一戦を
通じて
味わった
ことの
無いような
経験



左上隅定石進行後、

93から白をカラミに持って行き、
97と戻ったのが自慢の手で、
後は白をいじめながら確実に
勝利していく予定であった。

しかし
この時点で黒の私は持ち時間を
使い果たし秒読みである。


白は相変わらずノータイムで、
ほとんど時間を使っていない。




この後攻めているのに
追い詰められるという、
これまで味わったことの無いような
経験をすることになったのを思い出す。

中盤以降は必死で打ち進め、
終局のときはヘトヘトでど
ちらが勝ったのか分らない状態だった。


この一戦を通じて、
少年には2度とこの作戦は
通用しないであろう事を悟った。


石井邦夫
九段の
解説


この頃、私は自分の解説を添えて
棋譜を少年に送ったことがあるが、
祖父より丁寧な返礼と師匠の
石井邦夫九段の解説を送って
いただいたことがあります。

祖父の温かく熱心な指導に
感心した記憶がある。