囲碁の歴史のひとこま 名人戦決戦に、若者・井山に贈るエール 上坂徹雄 |
|
---|---|
名人戦はいよいよ最後の決戦となった。 颯爽と嘱望の若者の天下に号令を掛ける、その日がやってきた。 その前夜。 囲碁の歴史を刻む若者をお送り出すはなむけのエール。 フレーフレーイヤマ! |
|
囲碁の歴史 昭和から平成へ 日本の囲碁界を 築いた人達が、 ひとときひととき 去っていけば、 又、 彗星の如く新しい 命が生まれてくる。 |
日本の囲碁の歴史を編んでいった トップの人達に巡り合わせたしあわせを 喜ばすにはおれない。 |
記念対局 | 1993年8月、関西棋院総帥・橋本宇太郎先生と、 日本棋院大御所・藤沢秀行先生との記念対局が催された。 その前座を務めたのが大きな期待を一身に受け、 プロに転向したばかりの結城聡棋士と 関西アマチュア界大御所、西村修先生との対局。 |
因島で、囲碁大会 | 1998年4月、碁吉会が因島で、囲碁大会を催した。 阪本清士さんプロモートの大会であった。 碁吉会最多59名参加の豪華版。 因島精鋭との親善対抗試合は 59勝59敗とイーブンに引き分けたのも 不思議なほどの数字だった。 |
文祥先生に 三子を敷いて、 裕太少年 |
とりわけ、満場を唸らせたのが、 天下のアマ大御所・村上文祥先生に三子を敷いて、 井山裕太少年(当時九才)の公開対局だった。 介添えに文祥先生の実弟・徳祥先生と 高野圭介碁吉会会長が当たった。 |
屁理屈で辻褄 | 禁煙の碁吉会で、愛煙家の文祥先生をどう処遇するか、 高野会長と私で思案して、 「これは碁吉会の後のショーだ」と、 屁理屈で辻褄を合わした記憶がある。 |
相先でも勝負 | 局後、村上先生との談笑の中で、 「井山少年は3子で打ったが、次回、機会があれば、 相先でも勝負になるかも、と思う」と、 言われていたのが印象的だった。 |
表彰状 碁吉本因坊 井山裕太様 あなたは第17回碁吉会 因島大会において、 頭書の称号を贈られました。 天賦の名人碁所の資質を亨け、 平成の囲碁ビッグバン茲にありと、 ガウスの出現の如き デビューをされたのであります。 願わくば俗世の色香に惑わされず、 碁吉精神をもて、 天下に君臨されむことを 祈願いたします。 平成10年4月13日 碁吉会会長 高野圭介 印 |
|
三子は置きすぎ | 本局、関西棋院の多くのプロの感想が 「井山少年は強いね!三子は置きすぎで、 さすがの村上さんもたいへんだったろう。」だった。 |
2008年度 囲碁の早慶戦での話題 高野雅永記 |
|